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第二章 今まで生きてありつるは 〈『御書(一一六五頁)』〉

① 昭和四十七年結婚

彼との心の行き違いが、この日から生じていたのでした。

ボタンのかけ違いというのでしょうか、それは結婚式当日からあったのです。式を終えて彼の実家へ戻りました。彼の母と義姉の会話が、廊下を通りかかった時に、ふと耳に入ってきました。

その話は、彼の親戚の人のお祝い金のことでした。私の家は貧乏でしたから、父はお祝い金を用意できませんでした。親族の弟も恥ずかしい状態でしたから、私の家ではきちんと用意できなくてすまないと思いました。

ごめんなさいとの思いから、彼に「どうしたらいいかしら?」と尋ねたら、「母の悪口を言う気か! 立ち聞きしてなんだ!」とすごい剣幕でした。決して、立ち聞きなんかして悪口を言ったわけではないのに……。取りつく島がないのでした。

それから後、お酒を飲んだ時には何度も繰り返し言われることとなったのです。

② 義母と義姉

お二人は、私にとてもよくしてくださいました。義母は、私が産休明けで仕事に復帰する時に、乳飲み子である長男を四月に保育園に入園できるまでの間、面倒を見てくれました。

「ガンの末期」だったのですが、病んでいる自分の体を顧みずに、孫のために息子のためにと、まるで「自分のいのちと取り替えっこ」するかのように、自分と赤ちゃんの布団を並べて敷いて、ミルクを与え、おむつを替え、育ててくれたのでした。その義母は昭和四十八年九月に息を引き取りました。

義姉は、義母が亡くなってからは、息子たちが夏休みや冬休みに、田舎の家で預ってくれました。よくしていただきました。