無重力状態の困惑と気分

気がつくと、肩にかけていたはずの、俗称、弁当箱と呼んでいた録音機が私の目の位置から20センチほど上の空間に浮かんでおり中の6ミリテープが回転しているのが良く見えた。しかし、私の体は床に張り付いたままなのだ。録音機は宙に浮いているのに「おかしいな」と思い直してよく見ると、私の手がしっかりと床のハンドルを握っているではないか。

慌てて手を放し、指で床を押してみた。とたんに録音機が目の下にきて視野が開けたと思うと今度はゴツンと頭が何かにぶつかった。いつの間にか浮き上がった体が天井に達していたのである。やっと気持ちを落ちつけて周りを見回すと、その奇妙な光景に思わず吹き出してしまった。

撮影のために日本から持参した扇子を持って乗り込んだ背黒記者が、カメラの前で宙に浮きながらカッコよく扇子を使おうとするのだが、意のままにならず逆さになってぐるぐる回っている。扇子を動かすたびに力が入り過ぎて体が回ってしまうのだ。

急に体が沈みだした。これはいかんと手足を動かしたがどうすることも出来ない。あっという間に仰向けになって落ちたが録音機が先に落ちたため、いやというほど尻を打ってしまった。自然落下していた実験機が再びエンジンをふかして急上昇に移ったのだ。

こうして1回目の無重力飛行が終了した。わずか30秒間の無重力状態であった。全部で15回、延べ7分30秒間の無重力飛行を終え無事地上に戻ってくれた。

無重力状態とはどんなものか? それは「ウイスキーの水割を続けて2杯飲んだ時のようにフワッとして心地よい感じ」であった。

もう一人肝心なカメラマンの方の撮影はどうだったのか。彼も懸命になってカメラと格闘していた。カメラと三脚は、床に固定してあるから宙に浮く事はないのだが、ご本人の体が浮いてしまって、空中に腹ばいになったような恰好でファインダーを覗いている。それは全く予想外のことだった。そのために思い通りの構図で撮影することはできないようだった。

モーテルへ帰る車の中の3人は、いつもと違い無口だった。生まれて初めて地球の引力を感じない空間を体験した疲れのためではなかった。星野カメラマンは黙々と日本では見たことのないような大型車のハンドルを握っているし、隣の背黒記者からはかすかな寝息が聞こえる。

そして番組ディレクターの私は……「無理だよな」の独り言を心の中で呟いていた。それは帰途の中だけではなく、翌日も、またその翌日も一人になると気の抜けた状態になり、それはニューヨークのNHK支局の試写室に入るまで続いた。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『私はNHKで最も幸運なプロデューサーだった』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。