前編

山陰の桜は遅い。

プサンを発つ時も花ビラで送られ、今まさに車窓からは自分を追いかけてきたかのような桜のそれが舞っている。弘は思わず微笑んでいた。益田駅のホームにゆっくりと汽車は滑り込んだ。

足が震えそうな感覚を感じ、思わず涙ぐむ。うつむいて切符を渡したあとは駅前のロータリーの端でタバコに火をつける。十七時半になっていた。電話がつながるのか、また電話そのものがあるのかも分からない。今夜は木賃きちん宿にでも泊まることにしよう。

『すずの実家はここから四キロくらいの高津町だったな……いや、やめておこう』

悪い事は重なるもので、第一工場火災の半年後の十二月、第二工場も焼けてしまった。

今度ばかりは父も肩を落とした。激怒を越えて淋しそうに『再起』はしないと言った。無駄だと思ったのだろう。市街地計画の要望通り、広大な土地を売りさばいた。そうして得たお金を社員達の退職金に回し、残ったまだまだ多くのお金を母に差し出した。その後の彼は、ひたすら呑み続け快楽に溺れていった。半年の命だった。母は言った。

「ユジン、あなたどうする? ソウルの兄さん達は、来ても良いと言ってくれているけど」

「ママはどうしたいの?」

「私はプサンがいいわ。パパが生活には困らないお金を残してくれたし。友達もいるし、知らない所へはねぇ」

「じゃあ、私もママと居るわ。サンマンと一緒に暮らしましょうよ、ね!」

「そうかい。私も嬉しいけれど……あなた、元さんも言ってくれているし、彼を見つけたらどうなの? サンマンの事は何とかなるのと違う?」

「そうねぇ。何だか気が向かないなぁ。出会いがあれば考えてみる。いろいろあったから、しばらくゆっくりしない? ママ……そうだ、いつか武さんの故郷に行ってみたいわ。ママ、行ってみない?」

「日本へ? どうかしら……」

元は退院してプサンの山の手、ウノの店にいた。

「元さん大丈夫なの? あなた退院したばかりでしょ。奥さんに叱られるわ」

「平気さ。病院の飯なんざ食えたものじゃない。ここのサムゲタンが夢にまで出てきたよ。カミさん誘ったら『あたしがいたんじゃ気晴らしにならないでしょ』なんて言いやがった。粋なバアさんだ」

「元さん、そんな事言っちゃ罰が当たるよ。良い奥さんね」

「そうよ!散々心配したから、あれも疲れたんじゃないかな?悪い事したなぁ。あのレントゲンの影は何だったんだ?レンズが曇ってたのかねぇ。もう少しで武倅やせがれの所へ行けたのになぁ」

「バカ言わないで。客が一人減るじゃないか。それに弘さんはハッキリ分からないのじゃ?みんなの為にも長生きするのよ。七十四歳なんてまだまだ子供みたいなものよ」

「うへぇ。いつまで生きりゃいいんだい。そう言えば、郭隊長は嫁をもらったらしいな」

「そうそう、綺麗な方でね。州の役人の娘。なんて言ったかな……ヨンヒさんだわ。パクヨンヒさんよ。この間二人で見えたわ」

「そうかえ、それは良かった。あの方も良い年だからな。子を成さなきゃならんだろうし……」

元は急に悲しくなってしまった。

「元さん……」