男大迹は崖の縁に膝をつき、足首の綱を確かめて堅夫に笑みを浮かべて合図を送ると、やおら崖から身を逆さに降ろしていった。その頃から風が吹き始め例年に比べ状況が悪くなってきている。その中を男大迹の体は沈んでいく。一丈そして二丈と。その間にも風はますます強くなってきたが、三丈近くまで沈み続ける。周りからは「もう十分ぞ!」と声がかかる。その内に一昨年に達した三丈の印が先端で綱を持っている堅夫の眼に入った。

「太杜! もう手を挙げろ!」

自分を超えるのに我慢がならず堅夫は叫んだが、男大迹は聞こえないのか手をまだ挙げない。その瞬間である、西からの突風が崖を襲い男大迹の体は大きく右に揺れ、その後左に戻り、また右に揺れ始めたときに最前よりさらに強い風が吹き、堅夫が握りしめていた手から綱が離れ、先ほどより大きく男大迹は右に振れた。

その瞬間、後の二人も耐え切れずに綱を離さざるを得ず、なぜか足首の綱も解け男大迹は完全に宙に投げ出された。後は海中か崖下の岩に叩きつけられるばかりだ。周りで見守っている皆からは悲鳴の声が上がり、振媛は顔を両手で覆い、

「神よ! 我が命に代えて……」と叫んで、男大迹の御統を手に握りしめたまま倒れ伏した。

堅夫は崖下に落ちていく男大迹を震えながら見つめ、

〈我れが綱を耐えきれなかったのは風の強さのせいか、それとも、男大迹に自分を超えられるのに我慢がならなかったためか?〉と瞬時に思いを巡らせていた。

その間も男大迹の体は風に煽られながら遠く東に落ちていくように見えた。その腕を真横に伸ばし広げた袖に風を受けながら飛ばされている。ただ海に落ちない。風のもたらす不思議か、海面より高さ十丈あたりで滑空している。崖の上から見守っている人々からは、まるで白鳥か鳳凰が飛んでいるように見えた。多くの者が、「おお、神よ!」と口にした。それは、神に男大迹の無事を祈ったのか、それとも男大迹自身を指して声を出したのか……。

堅夫は前にも増して全身で震えながら眼の前の信じがたい現象を見つめていた。だが、その目にもう力は残っていなかった。

男大迹はそのまま空を滑るように、半里ほど北東にある雄島(オシマ)の林の中に吸い込まれていった。それを認めると致福を先頭に数人の若者が走り出し雄島に向かった。振媛は男大迹が空中に投げ出されたときに意識を失ったままで、周りの介抱を受けている。若者たちは舟も使い半刻近くかけて雄島に着き、山頂の祠の脇に横たわっている男大迹を見つけた。不思議なことに体に傷一つない。この奇跡に驚かない者はいなかった。


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※本記事は、2021年12月刊行の書籍『継体大王異聞 【文庫改訂版】』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。