【前回の記事を読む】「4番打者の価値を考えるなら、“記憶の長嶋”だけではないことは明らかである」

第3章 シーズンの記録から見た長嶋②

長嶋は3位、一位は川上

ここで、単純な数値比較ではなくその年のリーグ全体の状況等を考慮(?)した打率の比較検討をしてみよう。といっても私ごときが出来るはずはない。この試みはパ・リーグ記録部員、また報知新聞の記録記者であった宇佐美徹也氏が行っている。

シーズンに3割打者が一人しかいないシーズンと15人も3割がいるシーズンとでは、普通に考えれば3割の価値が違う。宇佐美氏はそういった点を考慮した修正公式を考え、表1を作成している。(※データは少し古くなるが、既に現役を終えた打者の数値であることからかなり参考になる。記録は1983年シーズン終了時の数値)

写真を拡大 [表1]シーズン状況を考慮した3割打者の評価

その選手の実働期間中のリーグ打率が高いと、この修正値結果は下がることとなり、逆に低いと修正値は高くなる。あらためて表6をよく見てほしい。実働期間中のリーグ打率が2割3分台は川上、長嶋のみである。いわゆる、3割の価値が他の打者より高いと言える。この数式によって、当時の通算打率3割以上(打数4000以上)打者11名について、その修正内容を見てみよう。

川上、与那嶺は左打者である。右打者では長嶋は(この時点では)一位である。張本は首位打者7回、3割16回を記録している文字通りの安打製造機であるが、修正打率は長嶋を下回っている。

長嶋が1959と71年に記録したリーグ一人3割のときの修正打率は次の通りになる。

[表2]長嶋の1959年・1971年における修正打率

両年ともリーグ打率0.230と低く3割打者が一人しかなかったのはうなずける。3割の価値が違うのは当然であろう(因みに両リーグに分かれてから、年度のリーグ打率が0.230を下回った年はセ・リーグは2回だけ、パ・リーグは一度もなしである。※1950年〜1986年の間)。

表面的な数値だけで判断、評価すべきでないことを改めて感じさせる数値である。では右打者通算打率0.311の落合博満と修正値においてどうだろうか。落合リーグ在籍期間中のリーグ打率はおそらく長嶋時代より高いと思われる。長嶋がおそらく上位に来ると思われる。

因みに参考値になるが落合のロッテ時代の数値を見てみよう(幸い宇佐美徹也氏が1986年終了時まで追加算出していたので幸い落合ロッテ時代まで見ることが出来た)。

落合のロッテ時代(1979〜1986)の通算打率は0.332でさすがに高い。しかしリーグ全体の期間中打率は0.267である。これまた、かなり高い。それまでの日本プロ野球全体の打率は0.245より少し上昇し0.246位であろう。

こうして計算すると全盛時代であるロッテ時代の落合の修正打率は0.306となる。多少の誤差はあるとしてもこの程度になる。もう一度整理すると三冠王を3度獲得したロッテ時代の落合の通算打率0.332→0.306となる。前出の若松も0.323から0.309に落ちているから妥当な数値だろう。

確かにこれは一つの見方であるが、長嶋のすごさを推して知るべしであろう。