「あんたの言うのはもっともだ。だが、あれは兵力量からいっても戦闘員の練度から見ても絶対に負けるはずのない、まさかの敗戦だよ。しかも、あの作戦の構想そのものは間違っておらん。注文通りに敵の空母戦力のすべてをおびき出したのだからな。いわば絶好の機会であったにもかかわらず、あのザマだ。まさに現場の指揮官の無能力や不注意が引き起こした大番狂わせだよ。山本長官の責任というより、不適切な人事配置が根幹的な問題というべきだ」

宇垣は特に声を高めてはいない。だがその発言は、熱弁というにふさわしいものだった。宇垣はさらに続ける。

「確かに、山本長官の描いた早期決戦の構想はミッドウェイで頓挫した。こうなると、少しでも早く戦争を止めるべきであって、これはもう戦略より政略の領域だ。わしは、ラバウルで当面の作戦が終わったら、山本長官は内地へ戻り、まったく新しい着想に取り組んでくれるのではないかと期待しておったわけよ」

「と言いますと?」

「まあ、これはわしの憶測だが、彼が海軍大臣に就任して、海軍をしっかりとまとめ、全力を挙げて終戦工作に当たるということかな」宇垣は、思い切った言葉を口にしていた。

「しかし閣下、まだ戦勝気分の抜け切れない現状で、日本に不利な形の戦争終結など、果して可能でしょうか?」

今度はボースが問いかけた。

「そうだ。極めて難しい。国民感情もそうだが、第一、陸軍が承知しないだろう。だからそのためには、海軍のすべてを注ぎ込んだ艦隊決戦が必要となる。場所はマーシャルかトラック島あたり、時期は早いに越したことはない。この一大決戦で、連合艦隊をはじめ海軍の艦艇や航空戦力が、ほとんどすべてすり潰される。もはやこれ以上の戦争継続は不可能だと、海軍当局がありのままに宣言して、終戦の工作に取りかかることになるだろう。もちろん連合艦隊長官も戦死するだろうから、山本五十六は内地にいてもらう必要があるわけだ」

「ですが、陸軍はまだほぼ無傷です。容易に敗戦を認めようとはしないと思いますが」

「その通りだ。だからそのあたりが、わしの出番だよ。陸軍だけでは戦争はできない。海上輸送路が遮断され、対馬(つしま)海峡も渡れないとなれば、内地が孤立する。まさに元寇(げんこう)の役以来の存亡(そんぼう)の危機だ。わしは東条(とうじょう)英機(ひでき)を排除して、首相兼陸相として山本海相と手を組み、可及的有利な形で戦争終結に持ち込みたいと考えていた。しかしながら、山本が死んだとなっては、これだけの大芝居を打つ相手役がおらん。まことに残念だ」

宇垣の言葉は、決して大言壮語(たいげんそうご)ではなく、当然の発想であるらしく、もしも事態が急迫したら必ず自分の出番がやってくると固く信じ込んでいる様子だった。語り終えた宇垣は、そのまま腕を組んで瞑目している。汪兆銘とチャンドラ・ボースは席を立って、部屋の片隅でしばらく言葉を交した。

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※本記事は、2022年1月刊行の書籍『救国の独裁者』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。