末吉を送ってくる女の子は、その都度違っていた。しかし、そのなかにスナック「オレンジ」のママ、峰子の姿を見ることはなかった。

スナック「オレンジ」は、国鉄西方駅から西に歩いて五、六分の線路沿いのところにあった。一階が店舗で二階が峰子の住居になっていた。

周りはほとんど畑で、隣にはお茶屋があって、隣県の名産品である狭山茶を売っていた。あとは、学習塾と児童公園、それに、ちょっと珍しい畳屋があるくらいで、赤線などがある繁華街とは違い、駅の反対側のまだ未開発の地域だった。

昼間の十一時三十分から午後の三時までの間、日替わりのランチを出して軽食喫茶としても営業をしていた。周りに食堂などがないこともあり、農家の若者や、まだ学校に行っていない、小さな子ども連れのママたちが、ランチを楽しみにしてやってきた。

また、駅から近く百六十円で毎日違った昼飯が食べられるとあって、タクシーの運転手や、営業マン、塾の先生たちなども毎日来てくれるようになり、六人がけのカウンターと、テーブル席三つだけの店は、いつも満席だった。

【前回の記事を読む】かつては名士だった汲み取り屋の男が赤線地帯に通い続けるワケ

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『ニコニコ汲み取り屋』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。