国田克美という女

平成元年二月二十六日の日曜日午後、尾因市医師会総会が開催された。今年度の総会は医師会長以下理事などの役員改選が重要議題の一つである。尾因市医師会定款等諸規定によれば、総会開催日の一週間前に医師会長、理事、議長、副議長、監事は立候補の届出をしなければならないことになっている。

しかしながら、これらの役員になろうとして自ら立候補して選挙戦になったことは尾因市医師会創立以来一度もなかった。したがって、前役員の誰かが根回しをして医師会長や各役員を推薦し、総会で同意を求めて採決可決して新役員が決定されてきたのである。

総会の数週間前に元医師会長、現医師会長、議長などを中心とした参与会なるものがある。その参与会で次期会長を誰にするか合議され、そののち誰かが総会で推薦して、出席者の同意を得て新医師会長や各役員が決定されるのである。村山会長は、看護専門学校は国田教務主任を迎えて一年間の実績と熱意などを勘案してレールに乗っていると判断し、会長を勇退することにした。したがって、看護専門学校長も新医師会長が兼任することになる。

このように、過去に一度たりとも尾因市医師会長選挙は実施されたことはなく、どこかの政界や財界などの権謀術数をめぐらす世界ではなく、常時平和な医師の親睦団体であった。

村山は二月二十七日月曜日の診療所の昼休憩中に学校に出向いて、国田に次のように言った。

「国田よ、わしは昨日の医師会総会で会長を辞めることになった。勇退だよ。だから、学校長も辞めるからな」

国田は青天の霹靂(へきれき)できょとんとして、すぐには何の言葉も出なかった。

「次はどなたが医師会長兼学校長になられるのですか」

「産婦人科医の原上(はらがみ)(いつ)()だ」

「講義に来られている原上先生ですか」

「そうだよ」

国田は自分の後ろ盾が辞めることに一瞬不安を感じたが、誰が学校長になろうとこの一年間で、徐々に教務主任として実力をつけてきたと思っている。また、講義に来ている原上先生は温厚な人柄のようなので大丈夫なような気がした。

「いつから学校長は交代されるのですか」

「四月からだよ。とはいっても、これからの一カ月間は引継ぎの期間だから、わしは裏方として原上を支えて、二人でやるよ」

「副学校長はどうなるのですか」

「同じだよ。久船が続けてやるよ」

国田は今までも久船には遠慮はしていない。同じ副学校長で良かったと内心思った。また、学校運営上、学校長と意見が対立して困ったことがあれば、村山先生に相談すればいいと、変わらぬ自分の後ろ盾の存在に満足して安堵感を覚えた。