「あいつ、まだいるかな」

地下鉄を降りて映画館の前に来ると、彼は入口の切符係の女を覗き込んだ。

「あ、いるいる。来い」

客の出入りが途絶えると、明夫は黙って彼のあとに従った。常雄は女と小声でしゃべっていたが、周りが騒々しいので何を話しているかよく分からない。それでも最後に「いいわ。まあ、入りなさい」という言葉だけは耳に入ってきた。仕方ない、大目に見てあげるわ、といった感じだった。

「入ろう」

常雄が振り向いて指で招いた。売店の前へ来ると何か食うものを買っていこうという。明夫が支払おうとすると、「いいから。いいから」とさえぎって自分で払った。そして入口の女の子にも持っていくのを忘れなかった。

「五十円で入れるんだから安いもんだろう。こんな映画に四百円も払うの馬鹿らしいもんな」

「いつもこんな手を使うのか」

「そうだ。女と来るときには、女だけ先に金を払って入れておいてね、おれだけはロハで入るんだ。そうしないと絶対に入れてくれんからね。だけど男ならいいんだよ」

映画はたわいのないものだった。終戦直後の盛場、新興ボスの一味を昔ながらの任侠道に生き抜こうとする親分が殴り込みをかけてやっつけるという陳腐な筋書きのものだ。休憩時間になると常雄は、「ダチに電話をかけてくる」といって席を立った。また映画が始まった。今度は成人向き映画である。映画の最中に「加納!」と大声で叫んで入ってきた男がいる。

「おお、ここだ」

加納も叫んだ。なるほどこれなら暗くても捜す苦労はない。そのやり方が面白かった。男は常雄の横に席を取った。映画も見ずに顔を寄せ合って何やら小声で話し合っていた。明夫は完全に黙殺された格好になり、嫌でも前を向いていなければならなかった。二人の間には絶対に加われないと感じさせるものがあった。

映画が終わって明るくなったとき、明夫ははじめてその男を見た。中背のがっちりとした体格の男で、髪は短く刈り込みもみあげは耳の下まであった。一見、やくざ風である。男は映画を見ている暇はなさそうで、すぐ帰らなければならんといって急いで立ち去った。

【前回の記事を読む】【小説】不良になった旧友の、かつてと変わらない姿に安心した

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『春の息吹』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。