【前回の記事を読む】10円の美味しいお茶!イラクでおごってくれたまさかの人物

一杯十円のうれしいお茶イラク

イランとイラクの国境は土を盛った土手。その土手を越えると「Welcome to Iran」とアラビア語と英語で書かれた看板がわれわれを出迎える。まずは予防注射の有無の確認。そして入国手続き、税関と順調に進む。

税関手続きが終わるとその出口でイランのタクシーが待っている。国境の町コーランプシャーまで十五キロメートルあり、二人で二千フィールスか、六米ドルという。一日一・五米ドル程度で生活していた当時の私の金銭感覚からは、その値段はあまりにも高くて見境がなくなり、頭にきてタクシーを無視して歩き出す。

さて十五キロメートルの道である。前方を見ると、地平線のかなたに林らしい緑がかすんで見え、道はまっすぐその方向に向かっている。道の左右は何もない砂漠である。こうなったらやけくそである。ただひたすら歩く。一キロメートルくらい歩いたころに、先ほどの税関のところにいたタクシーが追いかけてきて二千フィールスを千にまけるから乗れという。それでも高いとなおも歩く。

前方の林は依然として近くならない。暑くなってきたので小休止。背負っていたリュックを地面に下ろし、上着を脱いで、リュックの上に腰掛ける。真冬とはいってもこの辺りの日中はさすがに暖かい。休憩後さらに歩いていると、後ろからやってきた乗用車が三米ドルで乗せてくれるという。それを一米ドルに値切って乗る。さすがにコーランプシャーに着いたときはホッとした。

◆イラン~イラクの国境(写真1)

[写真1]

 イラン側には「Welcome to Iran」の看板があり、国境は土を盛った土手。周りは何もない砂漠地帯である。

◆ペルセポリス(写真2)

[写真2]

バラと詩の街のシラーズの北方60km、標高1700mの高原に広がるペルセポリスはBC520年に建設着工されたペルシア帝国の首都であった。しかし、BC330年にアレキサンダー大王の東方遠征によって破壊されてしまった。