陸前沼津貝塚の調査行

小山田村に続く遺跡調査は宮城県仙台地方であった。一九二五年(大正一四)七、八月のことである。先述したように、三年前の夏、信州田沢温泉の避暑地で懇意になった仙台市の桜井家に逗留し、仙台地方の研究者毛利総一郎さん、遠藤源七さん、桜井家の長男武麿さん(当時九歳)と遺跡に向かった。

桜井武麿さんは、宮城県矢本町の造り酒屋の長男として生まれ、小学二年の時、東京の誠せい之し館かん小学校(文京区西片)に転校、後に物理学を専攻して東北大学教授になった。

桜井家と中谷兄弟との出会いについて桜井さんが記しているところによると、小学四年の夏休み、私は姉二人と共に信州の田沢温泉で過ごしたことがあり、東京の渡邊さん一行も泊っていた。自分とあまり年の違わない四人の兄弟と、その先生といったような中谷さんという東大物理学の先生、それに中谷さんの弟などの大所帯であった。この中谷さんとは後に北大教授となり、雪の研究で有名になった中谷宇吉郎である。(『喜壽記念誌』誠之一五會)

小学生の武麿少年は宇吉郎の研究室によく遊びに行き、色々教えてもらったという。桜井さんは私宛ての手紙で宇吉郎との思い出をこう記している。中谷さんは私にガラス細工を教えてくれた。ガラス管をまっかに焼くと、飴のように曲げたり、ふくらませたりできるのがとてもおもしろかった。

中谷さんは粉体による摩擦電気の研究をされていたようで、粉体の一つとしてグラニュー糖も試みられた。私が行くと、実験台の上のグラニュー糖をかき集め、紅茶に入れて飲ませてくれた。私は物理実験とは何と楽しく、美味しいものであろうかと思った。これが、後に、私が物理学を生涯の仕事として選んだことに大きな影響を与えているように思われる。(一九九八年一一月二四日付)

※本記事は、2022年1月刊行の書籍『 幻の父を追って 』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。