その日は仕事の話が終わった後、休日にみたアクション映画の話をしていました。おばあちゃんに映画のおもしろさが伝わるようにと、身振り手振りを入れながら、おばあちゃんも楽しそうに相づちを打ってくれるので、かっこいい主人公の蹴りの真似なんかしたりして、おもしろおかしく話しました。

僕は日頃から人と話すときは、相手の目を見て話すことを大切にしていましたので、その日もおばあちゃんと向かい合って話していました。向かい合って、おばあちゃんの目の奥の奥の方まで見えた時、ふと声が聞こえました。

「佐藤くん、まだ帰らんのかしら。アクション映画なんて私にはよう分からんのに……」

目の前にあるおばあちゃんの顔はとてもにこやかで、僕の話を楽しそうに聞いてくれているように見えました。だから、この声は空耳かな、あぁ疲れてるんだ、と最初は思っていました。しかし、他のお客さんとのお話も重ねるうちに、その声は相手の目の奥から聞こえてくる心の声だと確信しました。

自分にそんな能力があったとは知らず、知りたくもなかったこの無駄な能力の開花に戸惑いながら苦しみました。顔や表情、言葉と心の声が一致している人は稀で、みな腹の中では違うことを思っているんですよ。誰しも本音を隠しながら生きているものだと思ってはいましたが、ここまではっきりと分かるとなかなか苦しいものです。それからというもの僕は人の目を見ることが怖くなり、話すことも嫌になってしまいました。

――へぇ、今日のつぶやきはなかなか興味深い。そんな特殊能力があるのか。相手の目を見たらその人の心の内が分かるなんて、すごいことだ。しかし実際はどうなのだろう。ぼくにもそんな能力があれば……と考えてみる。きっとぼくもこの人と同じように人と向き合うことが嫌になってしまうだろう。

それとも逆に、相手の心の内が分かったら、変に相手のことを誤解したり、傷ついたりすることもなくなるのだろうか。こんなぼくじゃなくて、もっと生きやすいぼくになれるのだろうか。いや、そんな能力があっても上手く使えない。なにも変わらない。と思い直し、再びラジオに耳を傾ける。

――しかしちょうどその時期に感染症が流行りだし、お客さんと直接会って話すことはなくなり、電話での営業がメインになりました。言葉という表面だけでのやりとりはなんて楽なんだ、心の中が見えない、心でつながらないってなんて生きやすいんだ、と僕は思います。感染症によって閉鎖された世の中が僕を救ってくれました。

――ぼくはラジオを聴きながら深いため息をついていた。ぼくにはそんな特殊能力なんてないけれど、閉鎖され、心のつながりがない世界が楽だというこの人の声にはうなずけるような気がする。でも、この人はこの先どうやって生きていくのだろう、ぼくと同じように外の世界が嫌になり、空っぽになってしまうのだろうかと、少しかわいそうにもなった。

※本記事は、2022年4月刊行の書籍『ぼくのカレーライス』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。