「My Life」のユダヤ人と自分の何が違う? どうしてこんな態度をとるのか? 自分の何が彼女をこういう態度にさせるのか? しばらくして、男は単純なことに気づいた。女性からして見れば、自分は若い女性を引っかけようとするリクシャー乗りに過ぎないのだ。現実の世界は否応なく、自分の立ち位置を突きつける。

だが男は女性を責める気にはなれなかった。彼女は現実に背を向けている自分と似ていると思ったからだ。投稿へのコメントを見る限り、女性も、男と同じように、相応の学業を修めているのだろう。また男と同じように、鬱屈した希望を持て余しているのかもしれない。

男は、果物屋の女性のために、何ができるわけでもないと思いながらも、ほぼ毎日、果物屋に通っている。いつか気づいてくれれば、と思う。その時には、自分も現実と折り合いをつけられるかもしれない。イチジクを食べる前に、カメラで写してから「My Life」に投稿して、「Wish You Were Here」を押した。彼女は本当の自分に気づいてくれるだろうか。

イチジクを頬張り果肉を噛みしめると、果汁が弾けて口いっぱいに広がり、男の喉を潤す。暑さと埃で乾き切っていたことを、今さらながらに思い知る。

ふと、さっき見た大阪の女の投稿を思い出す。左右の電車がちょうど反対の方向に疾走するような画像だった。もしかしたら、投稿者はどっちの電車に乗るか、迷っているのだろうか……。行き先がわからないのは、自分も同じだ。どっちに行っても、現実の世界がつらいことに変わりはない。ただ、どう折り合いをつけるかだけだ。

詮ないことだが、自分がこのユダヤ人だったら、まったく違う人生を生きることができたら、と思う。せめて「My Life」の世界では、ユダヤ人の男の足跡をできるだけなぞっていたい。平和な時間が流れる「My Life」の世界でだけは。日差しの強さは、まだ弱まりそうもない。イチジクで潤った男の喉は、もう乾き始めている。

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※本記事は、2021年11月刊行の書籍『Wish You Were Here』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。