日本古来の道

今、私が戦後七十年の日本を改めて振り返ってみて、口惜しく思うのは、日本人が民族固有の道を知らな過ぎる、ということです。それは必然的に、日本草創以前から厳然として存在する日本の神様のことであり、天皇に帰結する問題なのです。それは即ち「日本民族のルーツ」であり「日本人の道」を示すものに他なりません。その道を二千年間維持し続けている天皇を知ることは、己れのルーツを探求することでもあります。

敗戦後の新憲法さえ「天皇は国家・国民の統合の象徴」と規定しているだけに、尚更のこととして身につまされます。この日本民族固有の道、民族の独自性が日本文化創造の原動力であるからです。

日本文化創造は民族の固有性、独自性に立脚してのみ可能で、この日本民族の生命、造化創造の原動力が外来文明の模倣により失われてしまいました。それで国際情勢に翻弄されるような事態が生じているのです。戦後の不安動揺の原因は全てここにあると断じてよいでしょう。

ユダヤ人は、奴隷生活、亡国流浪、併せて四千年間を過ごしました。その間、他民族に虐げられ苛められながらも民族の神を固く信じ、民族の言葉を言い伝え続け、祈り続けてきた結果、国家の再興を一挙に果たしました。国土、財産等を失っても彼らは、「民族固有の神・精神」を守り抜いてきたからこそできたことです。

だが、戦後の日本人は、生命、財産、国土を有していても、精神的、思想的には空き家となっています。「魂」の抜け殻状態であり、このままでは、国際的圧力に左右され日本民族は解体に追い込まれる危惧さえあります。亡国の悲哀・悲運を免れるため、「日本民族の原点」を学ばなくてはならない、その原点こそが「日本の神様」なのです。

※本記事は、2022年1月刊行の書籍『 日本を哲学する』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。