彼女が輝之を覚えていたのは彼が驚くほど数字に強く、しかも記憶力も抜群だったからだ。彼は教室を回って生徒がうまく機械を操作出来ない時に手助けをしていたが、彼らのパスワードやIDなどを一目見るだけで覚えられるらしかった。当の本人が忘れていても、だ。

一方で愛想が良くないので生徒間では人気はなかった。しかし本人にそれを気にする様子は全くなかった。彼はどこか異世界から来た様な印象の若者だった。麻衣があなたの記憶力は素晴らしい、何かこつでもあるのかと聞くと自分の見た事を凡て数字化することが出来るからだと言った。

「それってどういう事?」

「僕の頭の中には幾通りもの数列があるんだ。その数列に見た事を転換すると大抵の事は覚えられる」

「分からないけれど――たとえば一度見た数字は、たとえば五秒間として何桁覚えられるの?」

「ウーン、そうだな、二十五から三十ってとこかな」

「数字とアルファベットの組み合わせでも覚えられるの?」

「そうだね、原理は一緒だから」

輝之はその気になったらネット株取引で大金を稼いでみせると豪語した。もちろん彼女はその話を信じなかった。

「それじゃあなぜパソコンのインストラクターなんかしていたの?」

彼は家にいるのが苦痛だからと答えた。麻衣は彼が本当にネットの株取引で大金を稼いだのかと聞いてみた。彼はうなずいた。だが自分は金には余り関心がない。おまけに一日中パソコンの前でデイ・トレーダーをやっていると便所に行く時間も無くなり、パソコンを使いこなしているつもりがいつの間にかパソコンの奴隷になってしまっていた。

余りに長い間椅子に座っていたから歩く事すらも危なっかしくなった。それでいや気がさして一年間やってからぷっつりと止めた。

彼は以前にネットで株をやっていた時に買ったというスイス製腕時計を見せて、この時計は一千百万円したがいざ買ってはめてみるとどうってことはなかった。時計の性能なんてその辺の五千円のものでもほとんど変わらない。いい時計を持ってもたとえば仲間に見せびらかしたり、相手を威圧して何かの取引に利用するのでなければ大した意味はない。自分には友達もビジネスの相手もいないからどっちみちそんな必要もない。そう言われて麻衣は鬼塚の腕時計を思い出した。

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※本記事は、2021年4月刊行の書籍『マグリットの馬』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。