兆し

安住の地

「ただいま」

声を聞いた優が飛んできて吾郷の腕を引っ張り、リビングに連れてゆく。

「あら、お帰りなさい。ジムにいったんでしょ。お風呂はいいの。あ、でも美南が入ってる」と加奈子が言った。

「あとでいいよ。未来の名人のお誘いがあるから」と言っている間に、やろやろ、と優が将棋盤を持ってきた。まだ覚えたてだが、すっかりはまったようだ。吾郷は一応二段の腕前なので適当に教えながら相手ができる。「駒落ち」というハンデを与えるが手加減はしない。結局、吾郷が二連勝したところで加奈子から夕食集合がかかった。優は顔を真っ赤にしてまだ指したそうだ。

――そうそう、それぐらい悔しがらないと強くならないぞ。

ほっておいても男の子に育ってゆく優を頼もしく思えた。

夕食はいつものように家族団らんだ。残業や特別な用で遅くならない限り、夕食の団らんには間に合う。東京時代に、平日に子供と食事するのはほぼ皆無だった。たまには吾郷の両親も顔をだし、にぎやかな夕餉(ゆうげ)になる。年収はかなり減ったが、生活費は安上がりで十分補える環境がある。足るを知る。吾郷はこの故郷の町の平穏は永久に続くだろうと思った。

月城の春は東京よりやや遅いが、そのかわり訪れをはっきりと感じる。

「おはようございます」

加奈子はゴミ集積所の掃除をしている平原道代にいつもの挨拶をした。

「あら、今日から新学期ね。美南ちゃんは四年生、優君は二年生か。早いものね」

「ええ。ここに引っ越して四年目になりましたが、あっというまでした。ところでお掃除お疲れ様です。わたしも手伝います」

「加奈子さんは送りがあるからいいわよ。こっちは時間がたっぷりあるんだから任せて」

「そうですか。すみません。でも最近、散らかりが酷いですね」

「これからの時期は、カラスが巣作りの材料を探して引っ掻き回すから大変」

「日本全国どこへいってもカラスはいますね」

「そうよ。世界に誇る日本の風物詩よ」

二人は声を合わせて笑った。