タクシー運転手となり収入も安定し結婚もして、すぐに私が生まれました。その後一年おきに女、男と子供にも恵まれ仕事にも一生懸命に頑張ったんだろうと思います。それなりに収入はあったんでしょうが、子供三人ですから、貧乏でした。

私が生まれた頃は白壁のちっちゃな倉庫に住んでいました。今回の函館訪問で本籍地である白壁のちっちゃな倉庫で結婚生活が始まったのを初めて知った訳です。多分函館に出て来て結婚してからの仮住まいだったんだろうと思います。

その後、桜でも有名な函館の観光名所の五稜郭公園近くの平屋一軒家に移りましたがボロ小屋でした。冬は朝起きるとすきま風で枕元に小雪が積もってたのを覚えています。一応お風呂はあったものの後から簡易的に作ったお風呂です。

わこちゃんから器用な母親ちーちゃんが角材を切って釘で打ち付け、トタン板で掘っ立て小屋のお風呂を一人で作ったんだよ! と聞かされました。冬は寒くて入れるような状況ではありません。夏の一時しか入った記憶はなく、いつも近くの銭湯に行ったものです。冬の銭湯へは弟と競争しながら走って行きました。走って行かないと寒くて寒くて体が冷え切ってしまうからです。

そしてゆっくり温まった後はこれまた湯冷めしないよう、全速力で走って帰ったなぁ。貧しいながらも楽しく家族愛を感じながら気持ちは豊かだったように思います。タクシー運転手で子供三人を養い、何が立派だったかと思うのは、両親とも教育熱心だったことです。

子供三人とも地元の教育大学付属小中学校に入れ、それぞれ進学校へ。習い事でも書道教室、そろばん教室、スキー学校そして塾にも通わせてもらいました。その頃にはタクシー運転手から個人タクシーとなり随分と収入も増え、子供心に少しゆとりが出てきたように感じたものです。

生まれた頃のボロ小屋からそれなりの家を建てたのもこの頃でした。今では当たり前ですが家の中に階段ができて二階建てになったのに感動したのを覚えています。うれしくて二階の自分の部屋の窓から屋根に登ったりしたなぁ。そして兄妹三人を大学に入学させていただき本当に感謝です。

※本記事は、2022年3月刊行の書籍『居酒屋秋田や奮闘記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。