今日は朝から天気が優れているせいか、空には雲一つなく、北の大地に聳える山々は、雲の陰に隠れることなく鮮明な姿を現している。

冬が過ぎ、少しずつ暖かくなってきたこの土地だが、それでもときおり寒い日が続く日がありながらも、今日は暖かな日差しで照らされ、深い森に住む小動物たちも巣穴から出てきて活発に動いている。川を流れる水もまたしかり、暖かな日差しのおかげで、山々にまだ被ったままだった雪が溶け、川へと流れ込んでいる。それは雪解け水となり下流の村々を潤していく。その川の中流に小規模の村があった。

四方を深い森に囲まれたその村は、村の周りを大きな丸太をいくつも連ね繋ぎ合わせた壁で囲んでいる。村は何年も外界と接することなく独自の文化を育んできた。川の水流はその村にも豊かな潤いをもたらす。そんな村の下流側の畔に一人の少女がいた。

少女は、洗濯をしていた。川面に反射した夕日が少女の顔を赤く照らす。少女は鼻歌を歌いながら洗濯をしていた。少女は洗濯物を手に取り川の水に漬ける。川の水は山から流れてくる雪解け水で冷たくなっている。身体を漬けようものなら、冷たさのあまり凍えてしまうだろう。少女はそんな冷たい川の水に洗濯物を漬けて擦る。

洗濯をしている少女の顔は、どこか嬉しそうだ。なぜなら今夜は村で祭りがある。戦が絶えない時代でも、村人たちは互いに支え合って生きていた。いつも笑顔を絶やさず、村人同士、皆で勇気づけ合いながら過ごしてきた。今夜の祭りは、先祖への祈りと今年の豊作を願うための祭りだ。祭りは既に始まっていた。

少女は早く洗濯物を終わらせ村へ戻り、母親と祭りに行きたい気持ちでいっぱいだった。そのせいか、今日の洗濯は少し雑になってしまっている。少女が洗濯物を終わらせて立ち上がったとき、川を挟んだ森の奥から大きな音がした。気になった少女は、立ち止まり森の方角を見つめる。

森からやってくる音は徐々に近づいてくる。少女は本能的に自分の身に危険が迫っているのを感じた。だが、身体は恐怖で強ばり、村へ逃げようにも足が言うことをきかない。音はすぐそこの茂みまで迫って来ると、突如として止んだ。

少女はどうにかしてその場を離れようとするが、足がすくんでなかなか一歩を踏み出すことができずにいた。そして、その少女の必死の思いを裏切るかのように、森の奥から何かが姿を現した。そこに現れたのは、一頭の妖魔だった。牛ほどの大きさに、猪のような顔。そして、異様な形の四つの目が、少女に向けられている。その妖魔の姿を更に特徴的にしているのが、異常なほどに伸びた長い牙と尾だった。

少女はあまりの恐ろしさに言葉を失った。助けを呼ぼうと叫びたいと思っても、声が出ない。そんな恐怖のどん底に突き落とされた少女に、妖魔は雄叫びを上げると突進して向かって来る。もうだめかと、少女が心の中で諦め掛けたそのとき、何かが妖魔の行く手を阻む。突然入ってきた邪魔に、妖魔が身体をくねらせるようにして急停止する。そして、突然入ってきた邪魔に敵意を向けるようにして低く唸る。

【前回の記事を読む】静寂に包まれた怪しの森に住む獰猛な獣「妖魔」とは…

※本記事は、2021年12月刊行の書籍『享楽の知謀者『見聞之録』 流浪の旅人』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。