(イ)宇宙万物を創造した全知全能にして完全な系

有神か(神の実在)無神か(神の非実在)という最高原理を追究する純粋な議論の対象となっているのはこの神のことです。

一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に代表される一神教はこのように定義された神の存在を前提として神を宗教構築上の核心に据えています。

その上で、神は宇宙万物の創造後もこの世に関与し歴史を司り人間界を見守っている人格神であると唱え、これら神の宗教の聖典はこの神の言葉(啓示、預言、教え)で成っているというのが神の宗教の主張です。従って、この神は“宗教神”というように呼ぶことができます。

然るに、このように定義される神にはもう一つの神が考えられます。それは理神論の神です。理神論とは、辞書によりますと、「世界の根源としての神の存在を認めはするが、これを人格的支配者とは考えず、従って、奇跡や啓示の存在を否定する説」と解説されています。つまり、理神論の神は宇宙万物を創造したがその後この世や人間界に一切関与していない神であるということになります。

ところで、筆者は、宗教神と理神のほかに理屈の上ではもう一つの立場の神が考えられると思っています。それは、宗教神のように人間界に啓示も(預言も教えも)しないが、理神のようにこの世に全く関与していないのでもなく、我々人間には認識できない何らかの形でこの世に関与しているという立場の神のことです。勿論、神が存在すればのお話ではあります。

(ロ)多神論の神々

多神教とは複数の神々を同時に崇拝する宗教のことですが、辞書では、その神々は、「自然現象を人格化したものや人間生活の様々な局面を投影した独自の性格と姿形を持つ神々」と解説されています。

ギリシャ神話の神々、日本の八百万の神々、ヒンドゥー教の神々、民俗信仰の神々など、世界中に色々様々な神々があります。しかし、唯一神の下では、多神の概念は成立しません。

なぜなら、多神は唯一神が現出しているか、この神の意志を受けた代理者か使者か、又は人間の空想や想像の産物かの何れかであることになりますが、この空想や想像の産物を除けば、余は全て唯一神に還元帰一して然るべきものだからです。

※本記事は、2021年12月刊行の書籍『 神と宗教を考える Thinking of God and Religion』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。