事件というか、世相には“バブル崩壊”(1991年〜1993年)に、“サリン事件”(1994年〜)とかアメリカの“九・壱壱”(2001年9月11日)、“リーマンショック”(2008年9月15日)も忘れられない[注1]。

中でも松本サリン事件は、その二十数年年あまり昔、松本中央郵便局のダクト工事を請け負って、一週間以上滞在したから、ニュースで“松本”、官庁街と聞くたびに落ち着かなかったものだ。

雑多な経験のうえ、漕ぎ着けた零細会社。なんとかかんとか、とにかく全社員七人の微細(びさい)企業(きぎょう)が三十年やってこられたのは、僥倖(ぎょうこう)は、偶然の連続でしかない。人に経営の実情を知らせるに、蟻地獄、擂鉢(すりばち)(むし)でひたすら餌を、(かて)を待ち受けるのだと卑下(ひげ)するしかなかった。

ある時、中企業の労働組合の長から破綻(はたん)した会社を再建させ、経営陣に回った高校の同級生にさりげなくすがったら、“どうして欲しいんだ”と開き直られて、そんなの仕事が欲しいに決まっているのに。

高校三年の体育祭に、示しあわせて立候補して、大会を盛りあげた仲だった。それが、と諭された。

債権の一部を放棄し、再建に協力した下請けグループが結束して、外来の下請けは簡単にそこには入はいれないと。もはや宗教団体だと思った。その頃は大概のまあまあの企業がそうだったから、系列を作っていたから納得はできた。


[注1] 『年表昭和・平成史1926―2019 新版』、 中村政則 森武麿編、岩波書店・2019年より。

※本記事は、2022年1月刊行の書籍『れひはのけんし』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。