私とニセコとの縁は深い。納屋で兄のお下がりの長いスキーを横目に室蘭では滅多に積もらない雪を待ち続けている頃、父は毎年のように北海道有数の厳冬の冬山を制し続けていた。

中でも寒さで厳しい山で知られるニセコアンヌプリの虜になっていて、厳冬のニセコの頂上にはABCと三つの大きな雪庇(せっぴ)が出現することや、そのB峰からの東斜面の大滑走の醍醐味を家族によく語って聞かせてくれていたものである。そのニセコへの憧れが募り私が同じ山を下ったのは中学三年生の時であった。

父からシールを借りて汽車に乗り狩太駅(現在のニセコ)で下車し、そこから延々と歩き出して見返り坂を越え、夕刻ニセコの恐ろしい寒さがやってくるその前に国鉄山の家に到着した。

翌朝、山の斜面から異様に突き出ているので「ちんぽこ岩」と呼ばれていた岩の下をくぐり抜け、日本海から吹き付ける北西風で雪が剥がされて所々アイスバーンが顔を出している危険な北斜面に張り付き、ジグザクに一気に上り続け、遂に主峰に達した。

ニセコ主峰から見た北の大地の姿はまさにアイヌから、神々が宿ると信じられてきたアイヌモシリその物の姿であった。登り続けてきた北斜面の眼下に望まれ、日本海に落ち込んでいく山々の荒々しい姿に対し、南側の目の前には三つの名前を持つ巨大なマッカリヌプリ(羊蹄山、蝦夷富士)が聳え立ちはだかっていて私はその圧倒的な存在感に言い知れぬ畏れを抱いた。

山の広大な裾野には『カインの末裔』に出てくる有島武郎の一族が開拓し後年農民に解放した有島農場が、時が止まったかのような静寂の中に広がっている。そして、二つの山麓の間には尻別川が深いヒダを形成しそれに沿って国鉄比羅夫駅が、ここだよと室蘭に帰る私を招き待っているかのようにかすかに望まれていた。

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※本記事は、2022年2月刊行の書籍『居酒屋 千夜一夜物語』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。