すぐにはその場から動けなくなっている僕に気を遣ったのか、二人の警察官は少し離れた場所へ移動していった。それからどのくらいの時間がたっただろうか。一歩、また一歩と部屋の中に足を進めていく。目の前に横たわっているのが彼女かどうかなんていうのは顔を見るまでもない。

折れてしまいそうなほど細く白い腕。左手の薬指に光っているのは、まぎれもなく僕が彼女にプレゼントした指輪だ。見間違うはずもない。嬉しさと驚きの涙をいっぱいに目に浮かべて、指にはめたその指輪を「どうかな? 似合っているかな?」って何度も僕の目の前に差し出して見せてくれて、毎日大事そうに身につけてくれていたのだから。

「……雫?」

何百回、何千回と呼び慣れた彼女の名前を喉の奥からやっと絞り出して呼んでみる。いつものように返事をしてくれるんじゃないかと思わずにはいられない。だって、ほんの一時間前には待ち合わせに遅れると電話した僕に、優しく「待ってるよ」と言ってくれたんだから。

「雫? 今日の約束……楽しみにしていたんでしょ、起きてよ」

「お願いだから……雫……」

僕の声だけが響く。怖い。今直面している事実に目を向けるのが怖い。恐る恐る彼女に触れると氷のように冷たくなってしまっていて、いつものぬくもりは消え去ってしまった。

「──雫」震える手で顔を覆う白い布をずらすと、痛々しくあざだらけになってしまっている。朝家を出るときの彼女はこんな状態じゃなかった。それなのに……。

「なんで……こんなことに……ねえ、雫?」

何度名前を呼んでも、彼女からの返事はない。足元ががらがらと崩れていく感覚と同時に、僕はもう立っていることができなくなった。その後、警察官が戻ってきて何か言われたようだけど目の前の現実が受け入れられなくて、混乱してしまった僕の耳には届かなかった。

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※本記事は、2022年2月刊行の書籍『スノードロップ 』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。