もう一つの表現を紹介します。「思春期」と「青年期」をあわせて「青春期」という表現です。また、前半を「思春期」、後半を「青年期」と表現することもあります。そして、「思春期」と「青年期」を区別しないで単に「思春期」と呼ぶこともあります。本書では、心と身体の発達両方を意味する言葉として「思春期」と表現することにします。

ここから、「しつけ」の話へと進んでいきます。しつけは、「仕付け」とも書き"礼儀作法を身につけさせること"という語源があるようです。言い方を変えると、人間関係をうまくこなし、生きていくための術を身につけることであるとも言えるでしょう。

なぜ「しつけ」が必要なのかについて考えてみたいと思います。誰とも関わることなく、生涯一人で生きていくのであれば必要ないのかもしれません。人間社会で生きていくためには、その人の言動がほかの人々にさまざまな影響や印象をあたえます。人に支えられたり人を支えたりすることで人のぬくもりを感じたり、立ち直る勇気をもらったり、自分も誰かの役に立てると気づくということもあります。

「しつけ」の先にあるのは、人と人との関係が好ましいものになることで、「幸せに生きる」ことにつながるのではないでしょうか。また、「しつけ」は人を動かすための方法を親から学ぶ機会とも考えられます。そして、どのように「しつけ」られたかによって、「自分らしさ」につながるように思います。さらに、「しつけ」は「自己評価の基準」やものごとの「価値観」にも影響します。

※本記事は、2022年3月刊行の書籍『「心の育ち」と「自分らしさ」-子育てと自戒-』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。