【前回の記事を読む】「あと1年やないか!」仕事と学校でフラフラの孫に叱咤激励

八、手紙は、受け取る人の立場で書くんや

そして、昭和32年(1957年)4月。21才で松下電器のラジオ事業部修理技術者として入社した。

5人の同期生の内、4人は全国営業所のラジオ修理技術者として各営業所へ転勤して行った。

私だけが、前の会社で受付業務や経理事務を経験しソロバンが出来たのでラジオ事業部営業技術課へ配属となった。

6ヶ月間は、製造されるラジオの構造を理解するため工場実習を受けた。1台のラジオが出来る1ライン50人位の女子社員の中の一人として半田付け作業をした。

半田付けは、1分以内の流れ作業時間に4~5ヶ所の半田付けを完了させ次の工程に送る作業だった。

その実習を終えると、ラジオの構成部品を覚えるため全国営業所修理部門に送る部品管理業務部に仮配属された。約1年間補修部品を担当した。ラジオの電気部品、機構部品、筐体部品等をマスターした。

1台のラジオが数100点以上にのぼるパーツで構成されていることを知った。

実習も終わり正式に配属されたのがメールサービス業務部だった。

顧客から寄せられた商品に関する手紙やハガキの返信業務と、それに加えて各販売会社(卸)や販売店(小売)から依頼を受けた重症の故障ラジオの修理を担当した。

故障修理業務については自信を持っていたので楽しかったが、一番苦手だったのが文章を書くメールサービスの返答だった。メーカーを代表してお客様に手紙を書くだけに、原稿は必ずベテランのY主任(故)のチェックを受けて返信することになっていた。