3. 地球環境問題

地球規模での温暖化などの問題から、地球環境に対する目標は、人類が住む地球の有限性を考慮し、地球のなかで人類が資源を大切にし、環境を守りながら持続的な成長を図る「持続可能な開発」というものに集約されていきました。

1972年6月に国連人間環境会議が開かれ、人間環境宣言(ストックホルム宣言)が採択されました。1979年には日本の環境白書のなかで、市街地の緑、水辺、沿道の景観、自然環境、歴史的景観、街並み景観、レクリエーションなどが「環境」に加えられました。

1983年に、国連のなかに「環境と開発に関する世界委員会」ができ、1987年〝Our Common Future〟(邦訳「地球の未来を守るために」)のなかで、「持続可能な開発」という表現(ブルントラント報告)が使われました。

1992年のリオデジャネイロ「環境と開発に関する国連会議」(地球サミット)で、「環境と開発に関するリオ宣言」とその具体的な行動計画「アジェンダ21」、生物多様性条約の作成(日本での国会承認は1993年)が採択されました。

日本では、1993年に公害対策基本法を廃止して環境基本法が採択され、放射性物質、オゾン層破壊、酸性雨、地球温暖化、海洋汚染などの地球環境問題解決を目指しています。1997年には環境影響評価法(環境アセスメント)が成立しました。

2000年には循環型社会形成推進基本法(循環基本法)が成立しました。

2015年9月に、国連で「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択され、「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals, SDGs)として、17のゴールとそれぞれのゴールのもとに設定された169のターゲットが打ち出されました。その内容は、環境と経済、社会を統合して解決するという考えに基づいています。

さらに2015年12月に、気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)でパリ協定(2016年11月4日に発効)が採択されました。その内容は、先進国と開発途上国の区別なく、温室効果ガス削減について自国の決定する目標を提出し、目標達成に向けた取り組みを実施するというものです。温室効果ガスの削減という課題については第Ⅲ部でまた取り上げたいと思います。

コラム② 「専門バカになるな」

私が学生のときは、日本の各地で公害問題が起こった時期でした。各地で住民運動や学生の運動が盛んに起こりました。この時期によく言われたのが、「専門バカになるな」という言葉です。

自分の専門のことしかわからない。それがほかの分野とどのような関連を持つかとか、世のなかでどのような位置付けを持つかといったことがわからない。そのため公害のような社会的問題が起こっても、自分の知識が不十分で対応できないのです。

自分の研究は何らかのテーマを深く掘り下げていくのですが、学問はどんどんと幅が広がり、ともすると、狭い分野の研究だけに閉じこもりがちです。「専門バカになるな」は、いつの時代でも研究者や技術者にとって、心に留めておくべき言葉だと思っています。

そもそも専門知識とは、現実の複雑な問題に対して、一つの視点からとらえて明らかにすること、そしてその視点に共通する知識を体系的にまとめようとするものです。したがってその視点を構成する基礎的・体系的な知識は身につくのですが、それは現実の課題に取り組む一つの視点にすぎないのです。

私は大学における文系・理系の共通科目で、「エネルギーと人間社会」という「総合科目」のコーディネータを担当したことがあります。「総合科目」とは、何らかの課題について、複数の専門分野からアプローチする講義で、本講義では、エネルギー問題について、物理、環境、経済、技術の観点からそれぞれの専門の先生方に講義していただき、さらに教員同士や学生同士のディスカッションも行いました。単に技術の問題だけでなく、エネルギー消費による環境問題や経済の問題も考えながら、将来のエネルギー選択と人間社会を考えるという講義になりました。

このなかで、ある文系の先生が1時間半の講義を、すべて口頭でされたことに驚きました。それでも、聞いていてちっとも飽きませんでした。

理工系では、まず図や表のデータを作り、後から文章を書くということが多いのです。しかし、文章で説明するにせよ、図やグラフ、数式、表で説明するにせよ、話の流れがしっかり考えられていることが大事であって、その内容を示す方法が文章や話だったり、図や式であったりするという違いだけなのかなという気がしました。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『人と技術の社会責任』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。