11月13日(金)

退院

そして丸山ワクチンのA液を持って、T医院へ行った。医院は12時から15時まで休みなので、午前中に行く必要があった。私は医院から歩いて50メートルほどのスーパーに駐車し、買い物をしていた。

良子はすぐに来た。他に患者はいなかったらしい。

まったく商売気のない先生で、余生の楽しみでやっているとしか思えない。私たちにとっては待ち時間が少なく、絶好の先生に当たったのである。手術の内容について少しは聞かれたが、特にコメントはなかったようである。

帰宅して昼食にした。ワタリガニを2皿放り込んでスープを作ってあった。豆腐と白菜が入っていた。豆腐は時間が経つほど味がしみておいしい。

スープはうどんにでもおじやにでも、便利に使えるのである。良子はそのスープでご飯をお粥状に煮て、豆腐とともに食べた。おいしいと言った。

「おかえり」と私は言い、酒を呑んだ。いつまでも二人が一緒にいられる訳ではないのだと、これが神様の知らせだったと思う。

彼女が自分より先に死ぬ、とは、まったくの“想定外”であった。そのことを、今回、突きつけられた。現実にそうなれば、自分はどう生きれば良いのだろうと思った。

生きることがめんどくさくなるような気がした。三回忌を終えたら、あとを追おうかな、なんて思った。

今回良子は、常に笑顔を見せていた。沈んだ表情は一切見せなかった。手術のあとも、痛むの? と訊ねると、「重い痛み」と言ったが、苦痛の表情は見せなかった。淡々としていた。

私が病室を去るとき、必ず笑顔を見せた。私の人生が、この、穏やかで強い女に支えられていたことを、身に沁みて知った。

2時過ぎに家を出て、歌舞伎座へ向かった。9日退院の予定だったのだが、勿論何かあればチケットは無駄にするつもりだった。

私の楽しみは旅行と観劇、コンサートホールである。それなりに金はかかるが、しかし大金を要する訳ではない。

今月は十一代市川團十郎五十年祭ということで、十一代が得意とした演目が並んでいる。そして海老蔵の長男、十一代の曾孫に当たる堀越勸玄(2歳)の初お目見得があった。勸玄君が海老蔵になる日を、私は見ることができないだろうが、大成を祈る。

私が歌舞伎を見始めて3年に満たないが、すぐさま、生半可な鍛錬では歌舞伎役者はやれないと気付いた。仁左衛門が確か、「歌舞伎役者はアスリートだ」と言っていた。その通りだと思う。

その仁左衛門の「元禄忠臣蔵仙石屋敷」大石内蔵助は、体の動きはなく言葉が続くのであるが、緊迫した、凄まじい迫力があった。体を動かす以上のエネルギーを使っているのだと思った。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。