講義が終わり教師は出ていった。教室の前の方にエンジンの模型が置いてあって、作業員風の男が中小企業の経営者風の肥った男にエンジンの吸入・圧縮・爆発・排気の四行程を説明していた。

「大将、ここんとこはいつでも試験に出るんですよ」

作業員風の男は今、大型自動車の免許を取りに来ているので、経営者タイプの男の先輩に当たるのだ。明夫がそんな光景をぼんやり眺めていると、

「おい、行こう」と廊下に出掛かった常雄が呼んだ。もう煙草を手にしている。

「今度の日曜、一時におれの家に来ないか。午前中に仕入れに行くので午後、名古屋へ行こう」

常雄はゴム草履を履いてきたので、近くにいた若者から同じくらいの大きさの運動靴を借りて車に乗った。

「仮免、受かりそうかね」

運転しながら常雄は教師に訊ねた。

「ダイジョーブ。若いもんが滑ったらそれこそ笑い者だぞ」

それから彼は教師と店の話をしながら運転した。明夫は後ろの席で聞いていた。

「八百屋は儲かるかね」

「あんまり儲からんね。半分、捨てると思わにゃならん」

それからいろいろ商売の話をしたが、それはむしろ兄の店のことのようだった。練習を終えて自動車を降りるとき、今度梨を持ってこようと教師に約束した。明夫が運転しているときも常雄は、明夫の教師とよくしゃべった。いろいろな経験をしてきただけあって話題は豊富だった。でも練習が終わって教師から離れたとき、常雄が明夫に話したことはスクールバスにいい女が乗っていたということだった。

「これからはスクールバスで来ようかな。だけどちょうどいい時間に来られないからなあ。今日は大分早く着いちまった。……ところであの女、どこの誰だろう」

彼は教習生名簿の置いてある棚を捜して彼女のを見つけた。当時は個人情報も開けっぴろげだった。写真が貼ってあるので名前が分からなくてもすぐ見つかった。

神野(じんの) 美恵子・十九歳・K洋裁学院在学」と常雄が読み上げた。

「十九歳か。おれたちより一週間早く入校している。ああいう女は後ろからがいいんだ。……」

彼はちょっと猥褻なことをつぶやいて、注意深く名簿を見てから元の位置に戻した。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『春の息吹』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。