高校を中退した俺が会社で働くということは、楽なことではなかった。十六歳までバイトもしたことがなかったから、スーツなんてそれこそ七五三みたいだろうし、作業着があって助かった。

比較する対象の経験がないのでわからないが、ここの会社の先輩はなにも教えてくれない。朝、出勤して机でぼうっとしていると、気がついたときには事務所に誰もいなくなっている。仕事の割りふりをしているときに、誰かに付いていかないと日当も、もらい損ねる。

仕事を覚えて一人前になりたいという気持ちだけはあったので、指示はされなくても職人のなかでもいちばん年配で偉そうに見えた人に、勝手に付いていくことに決めた。こうして、俺は毎日働いているという気分にだけはなったのだ。

リフォームの現場は、工事中も人が住んでいる住宅の、注文された箇所だけ直すものから、人が退去または死んでしまって主人のいなくなった家を、一軒すべて新築みたいにリノベーションするものまでさまざまだった。自分で監督になにをしたらいいのか聞きにいかないと、ここでも仕事にあぶれてしまう。

先輩のやっていることをよく見て、次になにをすればいいのかよく考える、そのうちにだんだん作業の流れがわかってきて、俺は自分のなかで工程を理解していても、一応監督と呼ばれている人に確認を取りながら作業を進めていくノウハウがつかめたような気がした。

寮の部屋を宛がわれたときは、なんだか大人になったみたいでうれしかった。毎朝四時前には起きて、作業着に着替え洗面もそこそこに、コンビニに走る。手近にあったパンかおにぎりを買って、それを食べながら一つ隣の駅までダッシュする。

仕事は肉体労働が主でかなりきつい。午後には歩くのもやっとの日も、珍しくない。やっている仕事は主に雑用だが、監督が「あれを持ってこい」と言ったものを、間違えず持っていけるようになりたいんだ。

一つの現場に七、八人、まだどこに行っても新人の俺は、ほぼ一日中そこにいる全員に指図されて朝から晩まで、走り続けた。お昼ご飯だけ、仕出しの弁当がもらえて、それだけが一日で唯一のまともな食事だった。

夕方五時過ぎに仕事が終わり、ダメ出しがなければそこで終わり。でも、まだ始めたばかりだったので、勤めて十日ほどで、残されない日は一日か二日だった。居残りになると、失敗が見つかり怒鳴られた。それでもなんとか、俺と母さんを見捨てた、父さんと親戚をいつか見返してやると、それだけの思いでつらい仕事も耐えてきた。なんとか、なんとかという思いで三日が過ぎた。どうにか、どうにかという思いで一週間が過ぎた。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『泥の中で咲け』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。