壱─嘉靖十年、漁覇翁(イーバーウェン)のもとに投じ、初めて曹洛瑩(ツァオルオイン)にまみえるの事

(3)

往来を往きかう、人人人人。私は、さりげなく周囲に気をくばった。飛蝗(バッタ)少年はいるのか、いないのかそれらしき影はないように思える。

なりゆきで来てしまったが、これで、よかったのか? まだ初日だというのに、あやしいところが多すぎる。あんまり深入りしないうちに、やめたほうがいいのだろうか?

私はその晩、管姨(クァンイー)の下宿屋に泊まった。

「ここが、あんたの部屋だよ。ふつうは大部屋にザコ寝なんだよ。あんたは運がいい。ここに住んでた男がやめちまってね。空いたばっかりさ」

「やめて、どこへ行ったんですか」

「知るもんかね。人には、それぞれの都合があるだろうよ」

管姨(クァンイー)は、めんどくさそうに手を振った。

「朝ごはんは、ここで出してもいいよ。午(ひる)と夜もここで食べたいんだったら、前もって申告するんだよ。前金制だからね」

寝台のほこりをはらって、横になった。頭の整理がつかない。ウトウト眠っては、昼間、遭遇した断片がよみがえって、夢うつつの中で交錯した。

いろんなことがありすぎた一日だった。漁覇翁(イーバーウェン)にはじめて逢った、昨晩のことが、遠い過去のことのように思える。管姨(クァンイー)は、住むところを提供してくれたが、羊七(ヤンチー)によれば、もの言わぬ飛蝗(バッタ)少年の総元締めだという。それが本当なら、漁門の、重要人物ではないか。羊七(ヤンチー)の言うことは、どこまで信用していいのだろうか?

(ウミヘビに気をつけろ)

いったい、何匹の飛蝗(バッタ)を放っているのだろう? だが、待てよ。考えてみれば、私みたいな軽輩を観察して、何か、いいことでもあるのか? えらい人の秘密を知っているわけでも、金のなる木をもっているわけでも、なんでもない。

まじめに働けば、どうってことはないだろう。気にしないのがいちばんだ。

夜がしらじらと明けはじめると、地面を踏みしめる音がきこえた。誰かが、門扉をひらいたようである。

「……あの子……来たばっかりで……」

「羊七(ヤンチー)……余計な……」

「うっふふ……」

「……しばらく……だから……使えば……」

「宦官に……死んで……」

どうやら管姨(クァンイー)と、段惇敬(トゥアンドゥンジン)のようだ。耳をすましてみたが、聞こえて来たのは断片的な単語ばかりで、内容まではわからなかった。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。