壱─嘉靖十年、漁覇翁(イーバーウェン)のもとに投じ、初めて曹洛瑩(ツァオルオイン)にまみえるの事

(3)

「おれを監視するために、送り込まれて来たんじゃねえかと思ってな。だが、そうでもなさそうだ」

羊七(ヤンチー)は、かすかに笑顔を見せた。

「おまえ、ほんとに、あそこで働くつもりなのか?」

「ええ……ほかに行き場もありませんし、宦官になっちまったいま、どこかにやとってもらわないことには、生活して行けませんので」

私は、漁門をたたくまでのいきさつを話した。

「そういうことだったのか。じゃ、考えなおせとは言えんな。だが気をつけろ、あそこは一言でいえば、魔物の巣窟だ。朝、飛蝗(バッタ)みたいな子供が、ウロウロしてたろう」

「いましたね」

「あいつらは、みな間諜だ。漁覇翁(イーバーウェン)の忠実な手下だ。ああやってあちこちに出没して、情報をかき集めるのが、やつらの仕事なんだ」

どこかで、似たような話を聞いた気が……そうだ、老魏(ラオウェイ)の猫。

「東廠(とうしょう)、ですか?」

「それをまねたものだ。漁門は、批判の矛(ほこ)をむける者の存在をゆるさない。内部の人間なら、なおさらだ。だからああやって飛蝗(バッタ)を放って、批判するやつがいないかどうか、逐一、報告させてるのさ。そして、飛蝗(バッタ)の総元締めが、あのゴマ塩女の管姨(クァンイー)だ。漁門のウミヘビたあ、おれがつけた渾名(あだな)だ。あいつはじーっと、おまえのことを観察してたぜ。どんな考えをもっているのか、どういうタマなのか、ってな」

はんぶん白くなった蓬髪(ほうはつ)と、頰にきざまれたほうれい線との間で、獲物を見さだめるウミヘビの目。

「それから、おれたちのうしろを、飛蝗(バッタ)が二匹、ずーッとついて来てたのに気づかなかったか? あいつらは、おそろしく耳がいい。ウミヘビが手をまわしたんだろうよ。おまえ、あの女のところに下宿するんなら、気をつけろ」

本当だろうか。少なくとも、私はそんな気配を感じなかったのだが。問いかけようとする私を、羊七(ヤンチー)が制した。

「そろそろ出よう。あんまり長居すると、見張りの飛蝗(バッタ)にあやしまれるからな。いいか、ここでの話は、みんな風の音だった。外に出たら、風は吹き去って、あとには何ものこらない」

通りに出たあと、羊七(ヤンチー)はふたたび、だんまりを押しとおした。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。