伏せられた病名

手術の1週間前に男と妻、そして男の両親に助教授が「肺に真菌の塊があって、そのため胸水が溜まっている。真菌の塊とそれが散らばっている胸膜を切除する必要がある」と手術の説明を行った。そのあと私が男を「検査」と称して部屋から連れ出し、助教授は「進行した肺癌であること」、「手術をしても予後不良かもしれないこと」を妻と両親に告げた。しばらくして三人は男に会うことなく、硬い表情で病棟をあとにした。

この当時、家族には病名を告げても患者には伏せることが一般的だった。往々にして「癌」は「カビ」、あるいは「おいておくと悪性になる腫瘍」と置き換えられていた。伏せる理由は「患者が希望を失うから」とされ、家族と患者の間にできる溝や家族の苦悩は顧みられることはなかった。

この時点で病名を告げなければ、そのあとに告げる機会はない。嘘の上に嘘が重ねられ、いくつかの矛盾が露呈し、患者は疑心暗鬼となって悪化する症状と相まって気持ちは不安定となり、家族も抱え込んだ「本当のこと」を隠すのに疲れ、その結果、関係がぎくしゃくし、大事な最後の時間が剣呑なものになってしまう。多くの患者はどこかの時点で推測しているに違いないが、真実を知る怖さ、隠している家族への複雑な気持ちもあって胸深く仕舞い込んだまま去って行くことが多い。

しばらくして男の手術が行われ、私は第3助手で執刀は助教授だった。開胸すると水の溜まった胸きょう腔くうが現れ、胸水を吸引すると肋骨側の肋膜ろくまくにも肺側の肋膜にも一面に癌細胞の播種はしゅが認められた。もともとの癌は直径わずか1㎝で中葉の胸膜直下に認められた。

小さいが、できた場所が男にとっては不運だった。胸膜直下の癌はすぐに胸膜を破り胸膜腔に散布、着床し、あたかも種を蒔いたかのように見えるので播種という状態となる。この状態は進行癌に分類され、様々な治療法が試みられるが、いろいろな方法があるということは決め手がないということで予後は極めて悪い。

「癌が胸膜を越えて肋間筋ろっかんきんにまで及んでいたら手術は止めよう」

と助教授が告げた。病理の結果は非情だった。私は先に手を下ろした助教授に代わり、胸腔内に抗癌剤を注入し、胸を閉じた。手術後の男の回復は肺を切除していないこともあって早かった。さらに抗癌剤を胸腔内に2回注入すると胸水は溜まらなくなり、彼は良くなったと思い込んで退院していった。

妻と両親には退院前に助教授が結果を説明した。根治術はできなかったこと、癌細胞が発育する胸膜腔を抗癌剤で癒着させ、水が貯まらないようにするが、それは根治にはなり得ないこと、予後は1年以内であろうことを彼は説明した。妻は毅然とした表情を変えなかった。入院からこの瞬間までの妻の心の変化は誰にもわからないが、何かを決心したような気迫が感じられ、夫婦の周りには何者をも寄せ付けないような雰囲気が漂っていた。

※本記事は、2022年3月刊行の書籍『南風が吹く場所で』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。