母が複雑な気持ちを秘めて笑った。二人は父、舒明亡きあとは中大兄に自分の伴侶を任せると言うのである。婚姻はすべて家のためになされるもので、個人の意思で成り立つことなどほとんどない。王家であればなおさらであった。

自分も父、茅渟王ちぬのおおきみの意向で高向王たかむくのおおきみに嫁がされ、高向王亡きあとは、三十歳に近い年で田村王子(舒明)に嫁がされた。これは当時の大臣、蘇我蝦夷の思惑によるものだった。三十路に入ってこの三人を生んだが、よく無事に生まれ、無事に育ったものだと思った。

「皆がそうして仲良うしてくれているのを見れば、安心して新しい年を過ごせそうじゃ」

女嬬が来て、古人大兄王子と話題の大臣、蘇我入鹿が待ちかねていると言った。待たせていたことをすっかり忘れていた。

「おお、そうであったな。わかった」と、言って三人には下がるように言った。母は再び御簾の中に入って大王であることに戻らねばならなかった。

「よい子をお生みなされよ」

中大兄はさっきのしかめっ面をくずしてくすりと笑った。

「生むのは我ではないが」

大海人も釣られて笑った。間人も二人に別れを告げて奥に消えた。二人が廊下に出ると古人大兄王子に続いて蘇我入鹿が向こうから歩いてきた。中大兄と大海人は一瞬立ち止まって異母兄の古人大兄に軽く会釈した。古人大兄も会釈を返してそのまますれ違ったが、蘇我入鹿は廊下の脇に避けて頭を下げ、中大兄と大海人が通り過ぎるのを待った。大臣といえども臣下であることに変わりがない。

ただ、僅かに頭を下げているが、その威容は確かに他の朝臣たちを圧倒している。中大兄には入鹿が笑っているように見えた。中大兄は負けじと胸をそらして入鹿の前をゆっくりと歩き、大海人は気にもとめずに兄の後に続いた。

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