プロローグ

君も大変だねと守屋氏は言った。松野は守屋氏に斉田寛はどんな人物だったのか思い出話を聞かせてくれないかと頼んだ。

「僕は寛二君たちのお父さんの斎藤晴楓の長年の友人で彼の作品のファンでもあります。若い時からのお付き合いで、特に上の男の子二人は小さい時から親しくしていたので今でもつい潔君、かんちゃんと呼んでしまいます。でもかんちゃんがミステリー作家になったのは正直言って予想外の驚きだったね。しかも次から次へと本を出している。

僕なんか一冊の本を書くのに四苦八苦だ。パソコンではなく手書きで原稿を書いていた昔はよく原稿の最終稿を中央郵便局に滑り込みセーフで出しに行ったもんだ。それが大晦日の締め切り直前という時もありましたよ。かんちゃんはいかにも芸術家肌で、僕はむしろ彼の方が兄貴の潔君より画家に向いていると思っていたんだがね。彼が画家にならなかったのは斎藤家の伝統に抵抗したかったからかな。本を書くにしてもミステリーよりも純文学向きだったんではないだろうか。毎年一冊だなんてまさに驚異的だね」

故人の兄、潔が言った。

「でもミステリーは純文学よりも金になるんじゃないですか?」

守屋氏は軽く笑って言った。

「そうかも知れん。だが彼が書いたものを見ると、若い頃は西洋かぶれだったのが最近はだんだん国粋派になってきたようだ。やはり潔君も入れると京都の三代続く名門芸術家一家の出自がそうさせたのか……もし日本人が自分を取り巻く世界に関心を持たないなら、日本は益々世界から取り残されて孤立してしまう」

哲学教授の話はそこで現代の日本の若者の内向き傾向に対する批判に矛先が向かった。だが斉田の学生時代の友人の一人、鈴木博和が「日本は決して孤立していない」と議論を吹っかけて追悼会のはずだったのが少々脱線して日本対欧米の比較文化論になり掛かった。

そこへ丁度十人目の人物が割って入り、オンラインの接続に少々もたついたあとに登場した。村上秀一郎というその人物は、やっと前の会議が終わったので参加させてもらうが遅れて申し訳ないと言った。お陰で話は元の軌道に戻ったようである。守屋氏は話を続けた。