乗客が二十人になる頃が一番きつい。ひょろっと背の高い男がリクシャーに乗るには背中を曲げるようにしなければならず、首が凝ってしまうし、運転席に座り続けていると腰も痛くなる。乗客とは、行き先と料金以外、何も話さない。余計なエネルギーを使わないようにするためだ。

この仕事を始めた頃は、少しでも乗客の印象に残るようにと思って、天気の話(もっともここではそんなに変化はない)、景気の話(男が最も興味を持っていることの一つで、男は経済学修士の学位を持っていた)、有名人のゴシップの話(男が最も不得意な分野で、一番安い新聞を買って勉強した)などを、面白おかしく話しかけていた。

だが、一か月もしないうちに、乗客が自分に求めているのは、できるだけ早く安く目的地に着くことだけだということがわかった。それからは、ひたすら一日のノルマとしている三十人を目指して、乗客一人ひとりをカウントすることだけを考えた。

現実を単純な数字だけの世界にしてしまうと、男は、客待ちの間、ユダヤ人でアメリカの企業に勤めるビジネスマンとして、「My Life」に足跡を残した。欧米の金融政策に対する論評、デリーの官僚への批判、ムンバイの企業の分析などの投稿を載せているのである。男はこのなりすましを、悪びれることなく、むしろ楽しんでいた。

そもそも、大学院まで出た男が大企業の職に就けないのは、自分の能力の問題ではなく、この国の経済、国力、人口、差別、その他のせいだと思っている。相手にするには大き過ぎることだらけだ。ならばせいぜいこの環境を楽しむだけだ。この「My Life」は神からのせめてもの慰めだろう。

それに、サンフランシスコのIT企業のユダヤ人も、デリーでリクシャーの運転手をしている自分も、現実世界では額に汗して働いていることに変わりはないのだから。もっとも、デリーの方が汗の量はかなり多そうだが。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『Wish You Were Here』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。