Wish You Were Here

午後三時五十三分、インド・デリー。太陽は傾きつつあるが、まだ暑い。熱気と湿度で視界が揺らいでいる。大阪の女が投稿した一分後、それはデリー中心部にある大きな公園の脇に止めたオート・リクシャーの運転席で携帯電話をいじっていた二十五歳の男の目に留まった。

光の尾をまとった電車が行き交う画像。どこに行っても人が溢れ、顔に埃が容赦なく積もるこの街ではお目にかかれない幻想的な画像に、男は少しの間見入っていた。そして、その電車に乗って、どこか遠くに行くことを想像した。

次の瞬間、「マンディハウス」と言いながら男性客が後ろの座席に乗り込んできたので、男は携帯電話を助手席に放り、リクシャーのエンジンをかけた。帰宅ラッシュの時間にはまだ早く、道はさほど混んではいない。

リクシャーのスピードを上げる。屋根とそれを支える細い支柱の他ボディがないので、運転席や後部座席は激しい風の通り道になった。男の着ている白いシャツが激しくはためている。朝にはぱりっとアイロンの効いていたシャツも、夕方になると汗と埃でくたびれてしまう。

男は、何百回も通ったマンディハウス駅への道筋を頭の中で描きつつ、さっき見かけた投稿の画像を思い出していた。先ほどの幻想的な想像はもう消えていた。あれはどこかの駅のプラットフォームの画像だろう。

走っている電車を写して「Wish You Were Here」とは、現実逃避というわけか。バカも休み休み言え。俺は今日二十人目の客を乗せてるんだ。まだあと十人乗せなければならない。それが仕事だ、現実だ。

男はさらにスピードを上げた。男の携帯電話はかなり古く、元の所有者の痕跡が多く残っている。どこから来たのかわからない使い古しの携帯電話が、履歴が消去されないまま転売されたのだ。電話の台数よりそれを求める人の数が上回るこの都市では、珍しくない。

よく見ると、携帯電話にデフォルトでインストールされている「My Life」のアカウントも、男の名前ではない。プロフィール上の男は、ユダヤ人の名前で、アメリカ・サンフランシスコのIT企業に勤めていることになっている。どこをどう辿ってきたのか、アメリカで使われていた携帯電話のようだ。そのユダヤ人は、肌が白くくっきりとした細面で、なかなかのハンサムだ。男はかまわず彼のアカウントを使い続けている。

ベンツにクラクションを鳴らされたが、男は相変わらずスピードを出しながら、車の間を縫って進み続け、いつもより早くマンディハウス駅に着いた。料金を告げると、後部座席の男性客は、無言で二十ルピーの札を放って寄越し、足早に去っていった。男は、足元に落ちた札を拾って、胸のポケットに突っ込んだ。