物質文明(西洋の原理)の避けられない災いを救う神道

新年になりますと神社に参拝します。神さびた大古杉だいこさんの林立する鎮守の森は森閑として、清々しく冷気もあり、緊張を感じつつも、心に安らぎと平安を覚えます。

「何ごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」と西行さんも歌っています。天地自然、万物に神が宿るという日本人の素朴で大らかな宗教心、連綿と続く「かたじけない」という心情は民族の心です。

日本人は二千年以上前からこの鎮守の森を心のふるさととしてそこに祭られている氏神様を代々守り続けています。神道の基本原理は、村落共同体がそれぞれ神々を祭り、自然を崇拝し豊作と永遠の繁栄を祈ることです。豊作と村の安全と繁栄を祈るのが神社の祭りであり、人々の心に村落共同体の一体感・連帯感を養ってきました。

ゴッドという一神教のイスラム教やキリスト教とは違う日本の神様です。日本の神様は自然の恵みへの感謝の神です。一神教のように争いの起きる余地はありません。世界的に自然保護が叫ばれる現代ですが、日本人は二千年来自然を大切にしてきています。

山形県の月山神社に、漸く登りつめ大古杉の中に神さびた神社が見えた途端、霧が一面に立ち込め、そのかき動き回る荒々しい霧に遭遇したことがあります。神様が現前されたような、神に触れたような畏怖と感動を覚えた瞬間を私は忘れません。「神道の 髄を見たるか 御社みやしろに 霧立ちたるは 神立ちませる」と思わず呟きました。

これは私だけではないのです。昭和二十四年に世界的な歴史学者アーノルド・トインビーが初めて伊勢神宮を参拝した時の言葉があります。

トインビーは神道を高く評価し、「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。それは産業革命がもたらす、まぬがれない代価である。ところが神道は、人間とその他の自然との調和のとれた協調関係だ。日本国民も、自然の汚染によって既に報いを受け始めているが、実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである」と述べています。

西洋に発した物質文明が避けられない災いを救うのが神道だと言っているのです。さすがです、日本文明の本質を喝破しています。

ドイツの植物学者ヒューセン博士は、「日本人が生活環境に郷土固有の神社林を保護育成してきたこと、また山岳地帯には祖先伝来の原生林がまだ存在することとあいまって、日本民族の優秀な資質育成に大きな効果を果たしてきたことからも、現代人はこれらを大切に守って子孫に伝える責任がある。ヨーロッパ諸国では、放牧により早くから原生林を失い、その弊害を補うために人工植林に努めている。日本の叢などを見て祖先の賢明さに敬意を表する」と、鎮守の森との関係で味わうべき言葉を残しています。

この鎮守の森、新幹線でもローカル線でも、高速道路を通っても、ああ、あれは鎮守の森だと思われる森が全国至る所にあって、ほっとします。単なる神社や森ではなく鎮守様は世界的に注目されているのです。日本の鎮守様は日本各地の中心で森と緑と水のシンボルと言えます。水と緑は人間の「命」を支えるものであり、それを崇める神道こそ地球規模の宗教だと言ったトインビーの予言は立証されそうです。

私はこの「日本の原理」とも申すべき、日本運営の基礎的思想こそ二十一世紀の地球を救う宗教だと確信しています。欧州は放牧のために早くから原生林を失い人工植林に努めていますが、彼らは日本の社叢を見て、祖先の賢明さに敬意を表すると言ったのです。

ギリシャのエーゲ海や地中海は色こそキレイですが、陸に森林がないため栄養が海に流れ込まず、プランクトンが少なく、森枯れは海枯れで、不味い魚しか獲れません。朝鮮半島や中国大陸には植林の思想がありませんから、森林は伐採したままです。森林がなくなると文明は滅びると言う学者もいます。

中近東辺りもそうでした。チグリス川、ユーフラテス川、かつてナイル川を支えた豊かな森林は地球の文明発祥地で古代メソポタミア文明やエジプト文明を築き上げましたが、伐採が進み砂漠化しました。中国の黄河文明の延長線上にある現今中国も砂漠化が激しく進んでいます。未来の悲惨さが見えつつあります。