どうしても他人の不便に気づけない自分が許せない彼女は、「どうしたら他人の不便に気づけるようになるんかな?」と言いました。昭和35年生まれの私たち二人が子どもだった時代は、既に高齢者と一緒に暮らさない核家族の時代でしたし、特別支援学校は街中には無かったので、体が思うように動かない人と一緒に過ごす機会はほとんどありませんでした。私たちは意図的に隔てられてきた事も知らずに育ってきました。他人の不便に気づけない人間が大量に育つはずです。

「私たちは、気づける人になるチャンスが減らされていた世代なんだよね」と答えるのが精一杯でした。他人の不便に気づける人になりたい彼女は、「どうすれば仕事やのうて、友達として出会えるんかな」と言ったので、少し返事に困ってしまいました。出会いを求める事は悪くはありませんが、配慮ができる人になりたいという下心があるとこれはうまくいきません。

私は以前、小学校でお話をする時に、「障害がある人と友達になりましょう。どんな事で困るか教えてくれるからね」と言っていました。しかし障害がある人から、「僕に子どもと友達になる義理は無いよ。僕は動物園のポニーじゃない」と言われてハッとしました。

友達になりたいかどうかなんて、年齢はさておき、気が合うかどうかが一番大切な事。こっちだって障害がある人でも気が合わなければ仲良くする義理は無いし、これは「お互い様」だと気づきました。もしあなたが障害を持つ人と友達になりたいと思うなら、素直な自分の気持ちを伝える事に加えて、友達になりたいと思ってもらえる自分になる事が大切です。

相手にだって選ぶ権利があります。まずは自分が素敵な人になる事。そして大事なのは、「お互い様=対等」です。「してあげる」という気持ちを「させていただく」などと言い換えても、そこに上下関係が見え隠れしたら、絶対に対等な友達にはなれません。気を付けてくださいね。

※本記事は、2022年3月刊行の書籍『コレぜ~んぶUDなんです‼』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。