仕事の心得

アパートの一室で二人きりになると真世は麻衣に言った。

「あんた、どうしたの? すっかりあいつのペースに乗せられたみたいに相槌なんか打って、目までキラキラしていたわ。あんたもあの使い走りの連中と一緒ですっかり丸め込まれたみたい」

真世にそう言われて思わずどきりとした。彼女の心の中に生じた暗い情動は誰にも知られたくない彼女だけの秘密だった。以前彼女は世の中は人を信じる者と信じない者に分かれていると思っていた。しかし鬼塚と付き合ってみて分かったことがある。人は本質的には人を信じる生き物だ。詐欺師とはそれに乗じて自己の利益を図る者だ。だがそれは単に利益を図るだけでは終わらない、限りなく残酷で無慈悲な仕業である。

あの男は長い間この稼業をやって来て自分のやっている事にすっかり自信を持ち心酔している。空港で捕まる麻薬や金の運び屋は、余程のプロでもない限り態度がおかしいのが多い。係官にじっと見つめられるとそわそわしたりどこかびくついた素振りを見せたりして疑われ、結局は御用となってしまう。でもその仕事を生業にしているプロならそんなこと位で動じない。そこがプロとアマチュアの決定的な違いだ。

彼にとっては”他”とは自分を利するための道具でありそれ以上でも以下でもない。従って同情も後悔も、増して懺悔の気持ちも一切ない。良心の呵責がないから人に対して嘘八百を述べ立てながら言い淀んだりつかえたりもしない。

そして金の魔力。彼女は最初の百万円をこしらえるのに彼女が何年掛かったかを思い返さずにはいられない。彼女が高校卒業を間近に控えていた時に担任は彼女の学力なら東京の一流私大に合格出来ると保証した。しかし両親に東京への仕送りを頼むのは最初から出来ない相談だった。

彼女の両親は弟に大学に行って貰いたいと考えていた。学資はその為に取っておかねばならない。後から考えると弟は結局大学には行かなかったから彼女が仕送りして貰っても良かったのだ。それでも彼女は夢と希望に溢れて内地におもむいた。

短い大阪時代を経て上京し最初に就職したのは、出身地の自治体の外郭団体の出先機関が運営する島の物産を展示即売する店だった。仕事は悪くなかったが何しろ給料が低すぎて家賃と生活費を払ったら手元に何も残らなかった。それでも彼女は食費を切り詰めてパソコン教室に通い、一年後に小さな広告代理店に転職した。そして同時にとある私大の二部に入学した。

だがその会社は給料は前よりは上がったものの人使いの荒い所で、一年半頑張った挙句に心身共に疲れ果てて遂に勉学を断念せざるを得なかった。それは彼女が人生で味わった最初の挫折だった。

あの男がやっている事を見ているとこんな事で大金が稼げるならコツコツ働くなんて馬鹿げていると思えて来る。労せずして稼いだ金だから金離れもいい。周りの子分共もきっとそう思っているだろう。だから大した仕事らしい仕事もせずに鬼塚の周りにとぐろを巻いているのだ。