すると誠はきょとんとしています。酒井お聖人より立派やと言われたものですから、理解できないのも無理はありません。私は続けました。

「歩くこともままならない状態から、お前は三年間毎日歩いて来た。誰からも褒められることなく、評価されることなく、成し遂げた。だからお前の方が立派や」と。

酒井お聖人にはとんでもない失礼なことを言いましたが、息子は何かを感じた表情をしていたのを憶えています。時を同じくして、誠に思いがけないチャンスが訪れました。妻を亡くした後、私は事業をしていましたし、子供も四人もいましたので、お手伝いさんに来てもらっていました。

そのうちの一人が急に辞められ、その後に、母の友人の福田さんという方が家に来てくれることになりました。この方の趣味が絵手紙で、「誠ちゃんも絵を描かへん?」と言ってくれて誠が描き始め、それをおじいちゃんやおばちゃんに送ったのです。父の家でその絵を見た私はびっくりしました。

私は以前ある画家のため画廊を経営していたこともあり、多くの絵画を見てきました。その私が誠の絵手紙を見て「これは……」と驚き、最初は信じることができませんでした。早速その絵を知り合いの画家に見せ、「息子は何も出来ないけれど、こんな絵を描くので絵を教えてやってくれないか?」と頼んだのです。するとその人は絵を見るやいなや「ほんまに前田さんの息子が描いたんか?」と目を見張りました。

こうして誠はこの画家のすすめで、画家の道を歩むことになったのです。美術学校で学んだわけでなく、師匠に教わったわけでなく、画家になったのです。そして今では中国の北京、京都の文化博物館他多くの会場で個展を開かさせていただいています。やっと自分の力で歩むことができるようになったのです。

場合によっては廃人になったかもしれない息子がひとかどの社会人になれたことは、本人の強い意志と努力と、なんとか出来ないものかと共に歩んできた私に対しての神様からのプレゼントであるとしか考えられません。本当に感謝してもしきれません。

※本記事は、2022年1月刊行の書籍『折節の記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。