「子ども」側に責任を持っていくと楽になる

教育していて「子ども」が思うようにならなかったとき、「あの子の性格が悪いからだ」とか「家庭の教育が甘いからだ」とか「もう少し考えればできるはずなのに」などと、自分の教育を棚に上げて、うまくいかないことの責任を「子ども」側に持っていこうとする教育者の姿にときどき出くわします。

そんなとき、私はできるだけ「本当にそれが原因なんですか」とその教育者に言葉を投げかけます。私もその状況がよくわかっていないときがあるのですが、そう決めつけようとするときほど、えてして教育者が自分の教育に自信がないということに気づきます。

当たり前のことですが、「子どもの教育者」は、その教育したことに自らが責任を持って教育しないと成り立ちません。ですから、教育に不安があるあまり、「自分が正しくないなんてことはあり得ない」的なことを思ってしまうと「子ども」に対して間違った教育をしかねないことになります。ところが、うまくいかなかったことの責任を他に求めると、その教育は「楽」になるのです。

本来の正しい教育とは、「子ども」にそこに問題があることに気づかせ、それを自らの力で修正して自らの力で正しい道を歩むことができるよう導いていくことです。ですから、楽をしようとすると、せっかくの教育の一番の醍醐味を自ら他へ持って行こうとすることになり、それはあまりにもナンセンスなことだと思います。これからの「子どもの教育者」は冷静に困難な問題にも正面から堂々と立ち向かっていける、そんな教育ができる教育者を目指してほしいと思っています。

「子ども」の教育に関する結果は、すべて教育者側に責任があるという覚悟をもて!

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『「子ども」が「人」に育つには』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。