このような新農法を行うためにはより集約された労働と広い耕作単位が必要であったため、従来の開放耕地と混在地制を排し、効率的な農地利用を行う囲かこい込こみが進められました。

この囲い込み(エンクロージャ)は細かい土地が相互に入り組んだ混在地制における開放耕地を統合し、所有者を明確にした上で排他的に利用することで、中世までの小規模な入り組んだ農地を効率よく使用するためには、どうしても必要なことでした(日本などアジアの農地が現在でも小規模で混在的なのは、歴史的にこの過程がなかったこともあります)。

イギリスにおいては、この囲い込みは一六世紀と一八世紀の二回行われ、第一次囲い込みは牧羊目的で個人主導で行われたのに対し、第二次囲い込みはノーフォーク農法などの高度集約農業の導入のために議会主導で行われました。

この農法の普及によって農業生産が増加した結果、イギリスでは一八世紀半ばから人口革命といわれるほどの人口増加をもたらしました。

つまり、一七〇〇年から一八三〇年までの間に、イギリスの人口は五一〇万人から一三三〇万人へと増加し、馬の数は三倍になりましたが、馬も人間も十分に食べることができて、この時期のイギリスは「ヨーロッパの穀物倉」でもありました。

さらにこの農業生産の顕著な拡大は、農業従事者の割合の低下と同時進行しながら達成され、農業従事者の割合は一七〇〇年の五五%から一八三〇年の二五%へと低下しました。

このため、この後イギリスで起こった産業革命に必要な労働力は直接的に農村から移動したというよりも、むしろ全体的な人口増加により労働力供給自体が大きくなったことによってまかなわれたと考えられています。