【前回の記事を読む】明治時代に始まった日本の小・中学校の英語教育を振り返る!

死んだ英語教育の歴史

2 制度としての学校英語教育の始まり

昔も今も指導者不足

初めて制度化された小学校での英語教育は、どのようにおこなわれたのでしょうか。出発時の戸惑いぶりがわかる新聞記事が残されています。

明治17年(1884)11月、文部省(たっし)によって「英語の初歩を加うる時は読方、会話、習字、作文等を授くべし」とされた。当時の新聞に「全国小学校に英語科を新設/だが先生からが英語を知らず/といって英語教師を雇えば金が要る!」(『郵便報知』12月12日)といった見出しが見える。

(『日本の英語教育200年』伊村元道著/大修館書店 2003年刊/234頁より)

小学校で英語教育を始めることにしたものの、指導者がいないというわけです。これは明治時代に始まった小学生への英語教育の実情が述べられたものですが、現在の英語教育事情と全く同じことを言っています。

当時の標準授業時間数は週3時間。この度小学校で必修化された「外国語活動」は年間35時間ですから、明治時代のほうが現代よりもずっと時間数が多かったのです。

小学生年代への英語教育は、1907(明治40)年の学制変更により、高等小学校の就学年齢が今の中学生年代からになったため、およそ20年で途切れることになりましたが、旧制中学校ではこの時、英語が必修になりました。その翌年には、加設校数・加設率が安定してきたこともあって、先にも触れた、我が国初の高等小学校用国定英語教科書が文部省によって作られました。

教科書は全3巻から成り、『The Mombusho English Readersfor Elementary Schools』と題されました。登場人物の大部分が日本人という異色なものでしたが、昭和の初期まで30年以上、ほとんど改訂なしに版を重ねました。