【前回の記事を読む】なぜ教科書に?「徳川家康の江戸幕府」に対する三つの疑問点

第三節 明治維新の前に知っておきたい幕末の歴史

第二項「討幕」という歴史用語は頻出する、そこを整理する

「討幕」とはペリーが浦和港に来航(一八五三)した時から明治維新(一八六八年)までの「一五年間」をいう。この一五年より前の期間は、幕府に対する不満はあっても民意の醸成期間であって、「徳川政権を打倒」という具体的な行動をして戦うには時期尚早であった。

また、往時の江戸市民には、世界一の規模を誇る大江戸八百八町の“江戸っ子たち”にとって他方では、徳川のお殿様に対する畏敬の念は高くあり、天皇よりも将軍様であった。勝海舟は西郷隆盛に対してこの点を強調して説いた。

仮に、大江戸市中を焼き打ちする西郷の作戦が成功しても、大江戸市民は天皇家の国民とはならないと西郷に迫った。これを「江戸城の無血開城」と評価して、その後の徳川族から天皇家に移動した。

何故に「明治維新」が広く語られ知られている割に、中身を充分に理解できない不得意場面なのか。それはこの期間がたかだか一五年の間に日本国に大革命が実行され、且つ成功裡(せいこうり)に終わり、多数の登場人物と激変があった。

しかしその割に皆が得心出来る程の授業時間をかけて、学習できなかったからである。試験に出題されそうなところだけを、丸暗記させられたことによるものではないかと邪推する。日本史教科書の最終段階である近現代まで時間を費やした中高学校の教科書の指導要領は殆どない。

これが筆者の単なる猜疑(さいぎ)(しん)と危惧であればそれはそれでよいが。読者も近代史の登場人物や事件の内容を合致するかどうかを確認しながら進まれたい。彷徨える日本史というよりも、現在の解読の問題点を探りながらその経時と年次を確認しながら進めよう。