4 私と彼らの森との関わり合い

私は仕事柄、出会った子どもたちがすでに森のなかをさまよっている場合が少なくない。

母親に手を引かれたまま森に入り、父親を生まれた町に残したままさまよっている母と子。母親に、

「このあたりでそろそろ戻ってください。大丈夫。手を引かなくてもこの子は出口を自分で見つけますから」

と、母親の道案内を買って出て、父親に引き渡すことも少なくない。その場合、多くはそこに問題があることに気づくことになる。

入口のところにしゃがみ込んでいる子どもには、手を差し出さず、後ろから押してみる。

どっぷりと浸かり、森のなかに住すみ処かを作ってしまった子どもを見つけると、しばらく一緒に過ごしてみる。住処を作った理由を一緒に探すために。

森からはずれジャングルに入り、暴れ回っている子どもには、森までとにかく一旦連れ戻す。出口が見つからない子どもに出会うと、一緒に高い木を探し、木の上に登って森を眺めてみる。

森を閉ざした子どもには、外から親と一緒に励ます態度や言葉を探し、森ごと抱えてみる。やがて、彼らが森から出た瞬間、森は消え、彼らは私と森を忘れる。何ごともなかったかのように、私の前から彼らは去っていく。

そして、そのとき、私の前にうなだれて座っている親に気づくことが多い。

親子関係にとって幼い頃は、親は子どもの成長を喜び、子どもは好奇心を満たしながら親と一緒に楽しい思い出をたくさん作っていく時期です。お互いにいつまでもその時間を過ごしていたいと思っていても、遺伝子は「性の成熟」に向けてプログラムを開始します。

子どもが親に向けていた興味や関心は次第に薄れていき、自分の心や身体の急激な変化に驚き、興味・関心が自分自身や周囲の人々に向かいます。人間関係や現実のさまざまな困難に直面する時期となります。

そして、次第に自分らしさを身につけ、自分らしく生きていく方向へと向かいます。親子の分離に直面し双方の不安を経験する時期となります。親は、子どもの成長を喜びながらも自立に向かうことの寂しさを体験し、子どもは楽しかった頃を懐かしく思いながら、前を向いて自分の歩く道を探しながら自分の人生を歩きはじめます。

そのような時期をさまよっているときに、私との出会いがあることも少なくありません。

私は子どもと一緒に、思春期からおとなに向かう出口を探し、親と一緒に子どもの成長を認め、子どもの自立を励ますことになります。そして、出会った子どもたちは、成長するとともに私の前から去っていきます。

実際に「お母さん(寂しそうだから)よろしく!」と去っていったこともありました。人はおとなになるにしたがって、自分にも思春期の時期があったことを忘れてしまうことも多く、「最近の若い者は……」ということになるといわれます。

しかし、私は「職業柄」と言い訳をしますが、いつまでも森の中を子どもたちと一緒にさまよっているのかもしれません。

※本記事は、2022年3月刊行の書籍『「心の育ち」と「自分らしさ」-子育てと自戒-』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。