【前回の記事を読む】「あと1年やないか!」仕事と学校でフラフラの孫に叱咤激励

七、君が初めて床の紙くずを拾った松下電器面接会場にて

21才になった。

叔母の知り合いに松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)に勤務する幹部がおられた。叔母は、その人に、就職の機会があれば、正夫をお願いしたいと頼んでくれていた。

ある日、その人から「正夫君にいい話がある。ラジオ事業部でラジオの修理技術者の募集があるので受験してみてはどうか」と叔母に連絡が入った。

願ってもないチャンスなので喜んで受験をお願いした。

有給休暇を取って大阪の門真市にあるラジオ事業部入社試験場へ行った。

会場に着いて驚いた。5名採用なのに50名以上の応募者が来ていた。びっくりした。

試験は、一般常識、ラジオ理論と修理技術の学科試験に加え、実技試験と面接があった。

筆記試験は、勉強していたことが殆どで時間内で全て解答出来た。

実技試験は、2~3箇所故障しているラジオをあてがわれ、45分以内に修理完了させる試験だった。

別室に案内され試験会場に入った。

50台位のラジオが机の上に置かれていていた。

テスター、半田ゴテ、抵抗、コンデンサー等が整然と置かれていて壮観だった。

45分の修理試験が始まった。

「このラジオは鳴らない。鳴るように修理しなさい」と張り紙がしてあった。

私は、使い慣れたテスターを使って、手順に沿って電源回路から順次電圧をチェックしていった。

抵抗、コンデンサー等の部品にも故障がないか導通チェックをしていくと、2箇所の抵抗の断線と半田付け不良を発見した。

私は、幸いにも短時間で修理を完了させた。

手を上げて試験官に故障箇所のメモを見せた。応募者の中で一番最初に故障ラジオを鳴らした。

試験官から、にこやかに背中をポンポンと軽く叩かれ、退席してよろしいと促された。