弘はチャガルチ市場の下働きをしながら、父芳蔵を捜していた。

多数の犠牲者を出し休戦となった朝鮮戦争の後、彼は四年の間軍に留め置かれ、戦後の処理や調理中心の労働を強いられた。一九五八年、わずかな給金を渡され解雇となり、日本へ帰る希望を持っていた。

『おやじは……曖昧な記憶。洗脳の際に受けた思考の曇りでハッキリとしない。彼を捜すか、日本へ帰るか。二十二年にもなるのか……。舟には俺だけしか居なかったと聞いたが、それは違うと思う。なぜなら父のぬくもりがこの手に残っているからだ。いや待てよ、この四半世紀近い間に、おやじは日本へ帰っているかもしれない。市中や港の関係者に聞いたが、糸口は掴めなかった。やはり日本へ向かうか』

弘はプサンで二度目の春を迎えた。この年の桜は開花が遅く、四月に入ってからピークになった。満開のそれは風を呼び、一気に散ってしまう。来年咲く花たちの為に、自らの気配を消すかのように。

一九六〇年四月八日、弘はプサンを後にする。

「じいちゃん」

「おうおう、サンマン。来てくれたのか。ユジンさん、いつも済まないねえ」

「何をおっしゃいまして。唯一の身内じゃないですか。早く良くなって、この子と遊んでやってください」

「そうだな、サンマンと……。ユジンさんや、あなたはまだ若いし、考えてみてはどうかな。サンマンの新しい父親のことを……お母様も願っているのでは?」

「……正直、ふと思うこともあるのですが、何だか不思議で、今も武さんが側に居るような気がするのです。それが自然になってしまって、少しも淋しくないのですよ。変だと思いません?」

「立場が違うので私には理解しかねますが、この爺のことは気にせず、サンマンのためにも良い方向に無理せずになァ」

「ありがとうございます。ゆっくり考えてみます。……さあ、サンマン帰りましょう。おじいちゃんにバイバイして」

「おじいちゃん疲れたか? バイバイ」

「おおっありがとう。これでお菓子を買いなさい」と、わずかな小遣いを渡す。

「わあー。アリガトウ‼」

「いつも、すみません」

病院の帰り道、遅咲きの桜が散っている。道一面のそれは時々風にコロガサレ、花ビラ同士が遊んでいるように見えた。

「サンマン、何してるの? ……」

サンマンは、地面の花びらをその小さな手に集めている。ユジンは黙って見ていた。『そう言えば武が亡くなった年は桜が早くに咲いたのよ。いつもは三月の下旬なのに、あの年は命日(十七日)の次の日くらいから開き始めたんだわ……。そして初七日で満開……。彼が笑っている気がしたの』

ふと気付くと、サンマンは両手に花びらを集めてユジンに渡そうとしていた。

「まあ、たくさん集めたのねー。私に? ありがとう」彼女は涙ぐむ。

「ママ、僕の気持ち!」

※本記事は、2022年3月刊行の書籍『二つの墓標 完結編』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。