第2章 かけるくんの子ども時代

4 中学・高校時代

こうして「個性的な」高校に通うことになったかけるくんですが、北名古屋市の自宅から守山高校までは、JRで普通に行ったら1時間半かかります。ここで言う普通というのは、健常者がJRに乗って行ったらという意味です。かけるくんのように電動車いすで通学するときは、健常者の場合とは異なります。

まず、電車のなかは通勤・通学ラッシュの時間帯です。そこへ前後・左右で1.5mは必要とする電動車いすが乗るわけです。人が缶詰になっている状態のところに、さらに電動車いすを無理やり乗せてもらうので、ほかの乗客からすればかなり迷惑です。また、JRは安全に電動車いすが輸送できる状況が確認できないと、電車が来ても乗せてくれません。

駅と駅の連絡や車掌と駅の連絡などがあるのでしょう。何か紙を書いて連絡をして、「連絡がつかないからもう一本後にしてください」と言われたりすることもありました。冬の間は、ほかの乗客が電車に乗っていくのに、一人取り残されて寒空の下で待たなくてはいけません。かけるくんは、「こんなに寒いのに、あと1本待たないといけないかよ」とよく思ったと言います。

JRに比べると、名鉄(愛知県の私鉄)はもう少し融通が利いて、そのように待たされることはあまりありませんでした。今では、地下鉄などにも車いす専用スペースが設けられている車両がありますが、全部の路線でそのような対応がされているわけではありません。また、ほかの乗客の理解も必要なので、今後さらに車いす利用者に対する制度の改善や理解が進むことを祈ります。

かけるくんは手の力が弱くて傘が持てないので、雨が降るだけでも大変でした。雨ガッパを着せてもらって登校したり、本当にちょっとした雨のときは濡れたまま帰ったりしました。

どうしても大雨で登校できないときは、お母さんが車で送っていきました。しかし、お母さんも仕事があるのでそうそう送り迎えはできませんでした。このように、高校へ登校するだけでも大変なのですが、かけるくんは高校3年間、遅刻しないで皆勤しました。

もちろん、遅刻ギリギリになることもありました。遅刻寸前になると先生が通学路に出て来て、「走れ!」と生徒に向かって叫び、生徒はみんな全力で走っていきました。それに負けずとかけるくんも電動車いすを全速力で走らせました。守山高生は、けんかはするし、勉強はしないけど、時間は守るのです。

通学の苦労はありましたが、学校内では支援員の方にトイレや食事の介助を受けることができました。小学校・中学校に続いて守山高校でも、県教育委員会が支援員の予算をつけてくれたのです。また、守山高校の用務員をされていた大島康弘さんは、かけるくんが勉強するための専用の机をつくってくれました(写真1)。

[写真1] 用務員の大島康弘さんがつくってくれた机。写真の右側に写っている入れ物は、教科書などを入れる。

高校時代には、それまでよりさらに筋力が弱くなり、座った姿勢を維持するのが大変でした。机の丸く切ってある部分で、体が左右にずれないよう支えます。

大島さんは、机以外にも授業を受けるのに役立つこまごまとしたものを工作してくれたり、ここのネジを回せば電動車いすが手動になるよと教えてくれたりしました。なぜ大島さんがこんなに詳しいかというと、大島さんにも車いすのお子さんがいらっしゃったので、どのように工夫すると良いかをよくご存じだったのです。大島さんは、かけるくんのことをまるで息子のように大事に見守ってくれました。

守山高校は決して進学校ではないですが、かけるくんもお母さんもとても面白い学校だったと言います。洋式トイレもちゃんとありました。激しく燃える男子(と女子)のいる熱い3年間でした。森山高校は、かけるくんにとても合っている高校だったと思います。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『希望の薬「スピンラザ」』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。