「あの、坂東先生か。フルートの坂東!!」

明らかに父の顔は普段の様子ではなかった。

「そうなの……」と瑠衣はうつむいたままこたえた。

「どうして。どうしてそんなことになったんだ?」と直之は悲嘆に暮れた表情で瑠衣を見つめた。

「私にもわからない。でも本当なの!!」と瑠衣は悲痛な面持ちで訴えた。

突然こともあろうに、瑠衣は素早く立って直之の首に両手を回し顔を強く引き寄せた。

驚いた直之は、瑠衣の手を払いのけようとしたが、「お願い。お願い」と救いを求めるような目つきで唇を求めてきた。

意表を突かれた直之は、とっさに身体をそらした。

それでも瑠衣は、「お父さん。お父さん、私の汚れた身体を奇麗にして……」と執拗に直之の唇に重ねようと自分の顔を近づけてきた。

あまりの勢いに気おされ、直之はとうとう観念するしかなかった。そこには、一人の女性である瑠衣を抱きしめている、父とは別人の直之がいた。

直之が余りにも強く抱き寄せたせいか、瑠衣の上半身が反り返って長い髪の毛が畳に付きそうになり、そのまま仰向けに倒れ込んでしまった。

慌てた直之は首にかけていたバスタオルの端を強く引っ張り、素早く瑠衣の髪の毛を丸めるようして頭の下に敷いた。

その拍子に瑠衣の身体に直之が覆いかぶさり、唇が耳元に微かに触れた。

「瑠衣。瑠衣は俺の命なんだ。誰にも触らせやしない!!」とささやいた。

「お父さん。お父さん、お願いだから、私を離さないで!!」

瑠衣は直之の身体にしがみつき強く抱きしめ、自分の身を重ね合わせた。それから、何分たっただろうか……。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『一闡提の輩』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。