【前回の記事を読む】「空の彼方には、束縛されない自由でピュアな世界があります」

あの空の彼方に

村上家ではやがて、一人息子である透君が中学生となり、父親の後を継ぐべく、本格的な受験の季節を迎えました。

その時に、玲子さんから家庭教師の依頼があり、平日を自分の仕事にあて、土、日曜日を使って、更に時間が空いた時などにも度々、もう一つの我家ででもあるかのように自由に出入りして透君の勉強を見てきたのでした。

医大の合格は、村上家の至上命題であり、受験勉強を見るにあたり、私自身も新しく勉強すること、し直すことも多く、私の仕事も基本的には同じですが、様々な情報も見逃がせない、又、透君も私の立てたスケジュール通りの、少しの時間も惜しんでの、毎日、同じ時間を判で押したように、続けてきたのでした。

とはいえ、透君があまりに辛そうな時には、少し気分転換になりそうなことを考えてあげるのも、私の役割だと思っていました。

他愛ない話をしたり、クラシック曲を聴いたり、好物を買ってきたり。クラシックは、アマデウスやショパンが二人でよく聴く作曲家ですが、私はエルマンノの間奏曲第1番が好きで、家でよく聴いています。

そして、倖いにも、この春に透君は現役で隣の大都市の医大に合格し、ようやく、彼との中学生時代から続いた、受験の長いトンネルを抜けることが出来たのでした。

透さんは入学までに運転免許を取る積りのようです。

私は忙しい生活の中で、歳も取り疲れてもいたのですが、若い頃に、玲子さんが独りでいる私を心配して、良い人を紹介する、と言ってくれたのに、反応のない私に、「貴女はちょっと地味よね。学業も私よりもずっと優秀だったし、そんなに綺麗なのに、もっと着るものにも、化粧にも気を使ってみたら」などと言った玲子さんの言葉を思い出し、暇にあかせて鏡ばかり覗き込み、洋服も、化粧道具も、新しく揃えよう……などと、何も構わないで来た今までを取り戻すかのように、もっと若く見えるように……などと思うのでした。

透さんが合格した今、そんなに玲子さんのお宅に通う用もないというのに、一人暮らしの気楽さ、土、日曜日には相変わらず村上家に出入りし、勝手知ったる他人の家、彼女の家にいることが多いのでした。