2 五重塔心柱の腐朽

昭和大修理の五重塔の解体修理の過程では、五重塔を支える最も重要な心柱に関して大きな発見がありました。慎重に解体作業が行われる過程で、心柱の根元が朽ち果てて空洞になっていたことが判明したのです。

しかし、発見されたのはそれだけではありません。心柱の根元の腐朽に加え、五重塔の建設の早い段階で心柱の根元が傷み始めていることに気付き、建築工事の途中で補修工事を施し、そのうえで五重塔を完成させていることが判明したのです。

それに関する記述を、『法隆寺国宝保存工事報告書 第十三冊』(頁一〇五)から引用して、ご紹介します。

「修理前、心柱は基壇上に置かれた不規則な数片の礎石の上に立ち、下方は空洞となっていたが、もとはその下方約十尺の位置に据えられている心礎から直接掘立式に建てられていたものと認められる。

(中略)

心柱は掘立柱の常としてその後間もなく地表近くの部分が腐朽しはじめ、恐らく須彌壇(しゅみだん)改造等の時期にそれが発見されたものと思われる。

心柱底部の修理は空洞内部の形状(八角の柱の形が残っている)やその上に積まれた不安定な石積の方法等から推察して、先ず腐朽せる心柱付近の基壇表面築土の一部を掘り起こした上、心柱中心部を残したまま周囲より腐朽部を除去し、埋土をしながら凝灰岩の切石やその他の自然石を四周から挿入補強したものと考えられる。

日乾(ひぼし)土塊や瓦片が礎石の下積に用いられたり、現在空洞内部に八分どおり挺出して辛うじて転落をまぬがれている石のあったことや、既に内部に転落していた石のあったことなどは上述のごとき修理工程を考えることによってのみ理解される事柄で、既に空洞が形成された後にこのような石積をすることは不可能な作業と云わざるを得ない(ふりがな筆者)」

この報告では、五重塔の建設当初、心柱は正常に心礎の上に据えられたが、その後の須彌壇改造等の時期に心柱の根元の腐朽が発見され、腐朽した表層部分を削り取り、削り取って細くなった心柱を補強するために凝灰岩の切石などで周囲を固めたと分析しています。

ただ、この補修の後も心柱の腐朽は進行し、心柱の根元は朽ち果てて完全な空洞になるとともに、心柱は礎石から浮いた状態になったというのです。

その証拠に、補強に用いられた一部の石が心柱の腐朽の進行によってできた空洞に落ち、あるいは落ちかけた石が残っており、建設当初から空洞があったわけでないことはもちろん、心柱の腐朽がある程度進んだ段階で腐朽部を削り取り、細くなった心柱を周囲から切石などで補修したことが明らかだというのです。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『法隆寺は燃えているか 日本書紀の完全犯罪』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。